弁護士はお気の毒? 「マチ弁」が最高裁判事になって見えたこと
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街角の小さな法律事務所で市民の悩み事を解決する「マチ弁」を約30年続けた後、最高裁判事を務めた山浦善樹弁護士(74)=東京弁護士会=が、その半生を1冊にまとめた。法律判断が中心の最高裁判事でありながら、当事者の思いに寄り添い、事実の確認にこだわるマチ弁時代のスタイルを貫いてきた。本のタイトル「お気の毒な弁護士」(弘文堂、3850円)は、理想の法律家の姿だという。【近松仁太郎】
1年で司法試験突破 大喜びで帰省も…
約450ページの全編が、会話形式の「オーラルヒストリー(口述記録)」で記されている。幼少期や学生時代の苦労話も盛り込まれ、最高裁判事の回想録というよりは自伝に近い。独特の挿絵も自ら描いた。
山浦弁護士は、かつて生糸産業で日本を支えた長野県丸子町(現・上田市)で生まれ、3人兄妹の長男として育った。父親は墓石の採掘場で住み込みで働き、いつも不在。天井裏をネズミが走り回る長屋で暮らし、小学校の給食費が払えないこともあった。
高校時代は、近くの寺の本堂に通った。住職が勉強場所として貸してくれたからだ。模試で「合格可能性5%」とされた一橋大法学部に合格。出版社、製本屋、アイスクリーム工場、米軍基地内の運送会社――とアルバイトに明け暮れた。卒業後は大手銀行に就職するも目標が見いだせず、1年で退職した。
書店で資格試験の本をめくり、実務経験がなくても受かる可能性があると考えたのが当時、合格率3%の司法試験だった。大学を卒業した年に結婚した妻と、「1年限りの挑戦」と約束し、猛勉強の末に合格。大喜びで帰省し、世話になった住職に報告すると、予想外の言葉が返ってきた。
「それは……お気の毒に」。住職はそれ以上、言葉を継がず、さっぱり意味が分からないまま帰京した。
マチ弁として独立 粉骨砕身の日々
先輩の事務所で経験を積み、37歳で東京・池袋に個人事務所を開設した。大企業から高額報酬の仕事の依頼が舞い込む大手事務所とは違い、マチ弁の主な顧客は地域住民だ。
民家の庭にボールを拾いに行った5歳の子どもが、…
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