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びわ湖から世界へ飛躍 君原健二さんが語る円谷幸吉さんへの思い

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東京五輪代表選考レースとなった毎日マラソン(当時)で競り合う、優勝した君原健二(右から2人目)と円谷幸吉(同3人目)=東京都内で1964年4月12日
東京五輪代表選考レースとなった毎日マラソン(当時)で競り合う、優勝した君原健二(右から2人目)と円谷幸吉(同3人目)=東京都内で1964年4月12日

 1968年メキシコ五輪男子マラソン銀メダリストの君原健二さん(79)は、63年のびわ湖毎日マラソン(当時の名称は毎日マラソン)で初優勝し、飛躍へのきっかけをつかんだ。五輪に3大会出場した名ランナーのマラソン人生には、ライバルへの思いが詰まっていた。

 63年大会は翌年の東京オリンピックを見据え、国立競技場を発着とする「五輪コース」で行われた。「3回目のマラソンで初優勝。自信になり、誇りだった」。海外遠征メンバーに選ばれ、本格的に競技生活がスタートした。翌年の毎日マラソンで連覇し、五輪代表の座をつかんだが、日本代表としての重圧は想像以上だった。

 東京五輪が開幕し、レースが近づいても、君原さんの心は落ち着かなかった。調整に集中できず祭典の盛り上がりに気をとられ、選手村では記念品のスカーフに陸上の日本代表選手約60人のサインを集めて回った。結果は8位。毎日マラソンでは2位だった円谷幸吉さん(故人)が、銅メダルを獲得した。君原さんは「精神的に未熟だった。スカーフは宝物だが、『恥の宝物』」と振り返る。

失意の五輪 競技再開へのきっかけは…

 五輪の翌シーズン、君原さんはマラソンを走らなかった。「あんなにつらい責任感を味わいたくなかった。競技をやめようとも思った」。…

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