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文学碑の散歩道

生誕地、母校、作品の舞台……。文学者ゆかりの地に立つ碑は文面も由来も形もさまざまだ。一つ一つに物語がある。

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/22 台東区三筋-斎藤茂吉 病院後継ぎ見込まれ 上京当時を回想して /東京

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斎藤茂吉
斎藤茂吉

 斎藤茂吉(1882~1953年)は生まれ故郷の山形県で小学校を終えた後、東京で医院を開業していた親戚の斎藤紀一方に寄宿し、中学に通った。紀一は茂吉に医学を学ばせ、出来が良ければ養子にしようという気があったようだ。

 茂吉は期待に応えて勉学に励み、紀一の次女・輝子の婿養子として斎藤家に入る。一方で文学者としての歩みも始まり、13年に第1歌集「赤光」を発表。後年は国民的大歌人として広く敬愛された。

 紀一の「浅草医院」があったのは、現在の台東区三筋。茂吉は上京から約四半世紀後、当時を回想し「浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光の如や」という歌(「つゆじも」所収)を詠んだ。自然石の表面を長方形に削り短歌を刻んだ碑が現在、三筋保育園の庭に立つ。

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