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第94回センバツ高校野球

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マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ

2003年夏優勝・松林康徳部長/上 皆と逆の方向を見ろ /茨城

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第85回全国高校野球で常総学院の主将を務めた松林。4番に座り、決勝の東北戦ではダルビッシュから右前打を放った=阪神甲子園球場で2003年8月23日、長谷川直亮撮影 拡大
第85回全国高校野球で常総学院の主将を務めた松林。4番に座り、決勝の東北戦ではダルビッシュから右前打を放った=阪神甲子園球場で2003年8月23日、長谷川直亮撮影

広い視野で「並の子」起用

 もともと、期待された存在ではなかった。中学3年生のころ、プレーを見た木内監督から「君は並の子。身の丈に合った学校に行った方がいい」と諭された。競争は覚悟の上だった。

    ◇

常総学院の松林康徳部長=茨城県土浦市で2021年2月5日、小川昌宏撮影
常総学院の松林康徳部長=茨城県土浦市で2021年2月5日、小川昌宏撮影

 松林は現在教員として母校に戻り、野球部長を務めている。

 指導者として木内に説かれたのは、生徒への目配りだという。「打球が飛んだら、逆の方向を見ろ。そこで、もっと大事なことが起きている。皆が見ている場所に手抜かりはない」。松林も、そんな木内の広い視野にすくい上げられた一人だ。

    ◇

 入部後は、木内監督の前で素振りをしたり、うるさいほど声を出したり、アピールが実を結び2年生の秋に背番号19を手にした。素振りのしすぎで右手首を疲労骨折していたが、「声がよく出るから」と三塁コーチに任命された。

 チームは関東大会へ勝ち進み、1回戦は宇都宮工(栃木)戦。大量リードを奪い、故障が癒えた松林にも代打の声が掛かった。公式戦初出場。気合を込めて強振した瞬間、再び右手首に痛みが走った。「終わった」と思った。甲子園の夢は遠くかすんだ。

 一冬を越してもバットを振れずにいた松林は、木内監督から「春の大会はベンチに入れない」と告げられた。納得の判断だった。メンバー外となった選手は早めに練習が終わったため、松林は寮で飼っていた犬の寝床を掃除することにした。小屋にたまった落ち葉をかき出していると、佐々木コーチ(現・総監督)がやってきた。

 「木内監督はそういうところ、見えているんだなあ」。佐々木コーチはそうつぶやき、グラウンドに戻るよう指示した。グラウンドでは木内監督が待っていた。「メンバーに入れたいヤツがいないからお前、背番号19な」

 松林にはためらいもあった。ケガを再発させて離脱すればチームに迷惑を掛ける。「大会で思い出を作り、その後は裏方に回ろう」と腹を決めた。

 しかし、県大会で松林のバットが火を噴いた。右手首はテーピングでグルグル巻き。まともに素振りもしていなかったが、決勝では複数安打を放ち優勝に貢献した。背番号3をもらった関東大会も好調を維持し、チームは8強入りを果たした。手首に痛みはない。

 大会後、木内監督から「お前、声がデカいから」と主将の指名を受けた。状況はほんの1カ月で一変した。(敬称略)


 <第55回秋季関東大会>

 ▽1回戦

常総学院

  432102=12

  000010=1

宇都宮工

 (六回コールド)


 ■人物略歴

松林康徳(まつばやし・やすのり)さん

 1985年生まれ、川崎市出身。内野手。常総学院では2003年夏に主将を務め、初優勝。専大でも主将を務めた。卒業後は常総学院で野球部顧問、コーチを務め、16年から部長。情報科教師。

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