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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

人知れず建つ碑や地名などをよすがに、今につながる大阪の知られざる歴史を掘り起こします。

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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

/548 東高野街道/44 /大阪

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弓の名人、本間孫四郎の墓=八尾市神立で2020年12月22日、松井宏員撮影
弓の名人、本間孫四郎の墓=八尾市神立で2020年12月22日、松井宏員撮影

 ◆八尾市

眠れるもののふたち

 「八尾 高安山史跡散策マップ」(八尾市観光協会発行)を見ると、玉祖(たまのおや)神社の周辺に二つの墓がある。探してみることにする。

 上ってきた道を少し下り、二つ目の角を道標に従って右へ折れる。畑の中の道を進むと、民家の前の石垣の上に五輪塔が並んでいて、傍らの碑文には「本間孫四郎墓」とある。鎌倉から南北朝時代の板東武者で、新田義貞の家臣。弓の名人だった。のちにこの地に住み、本間垣内の小字もあるという。

 孫四郎の弓の名人ぶりは、「太平記」に「本間孫四郎遠矢事(とおやごと)」と題して記されている。舞台は神戸に飛ぶ。湊川合戦で、南朝方の新田軍は海から攻め寄せる足利尊氏の大軍と和田岬(神戸市兵庫区)で対した。この時、孫四郎はただ一騎、波打ち際に進み出て、大音声で「将軍(尊氏)はさぞ美女を多く召しておられましょう。珍しい肴(さかな)を差し上げよう。しばし待たれよ」と言うや、弓をつがえた。海鳥が魚をくわえ…

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