フランドルの混沌〜「バベルの塔」と「ドン・カルロ」を結ぶもの
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海や野山を従えてたたずむ、壮大な塔。塔に目を凝らすと、アリのようにうごめく無数の人々が目に入る。壮大さと細密との同居はこの画家ならではだ。
ピーテル・ブリューゲル(父1525頃〜1569年)の代表作「バベルの塔」。ブリューゲル作品の中でも屈指の人気を誇る傑作である。
「バベルの塔」は、旧約聖書の「創世記」に登場する逸話である。神の領域である「天」まで届く塔を造ろうとしたニムロド王に、神は幾つもの言語を与えることで報いた。人々の意思疎通ができなくなって現場が混乱し、建設が立ち行かなくなったのだ。
ブリューゲルがこのテーマを取り上げたのにはもちろん理由がある。彼が生きたフランドル(現在のオランダ、ベルギー)は、「バベルの塔」のような状態だった。16世紀のフランドルは商工業や貿易で発展し、市民階級がいち早く力をつけていた先進地帯だったが、ハプスブルク家が治めるスペインの占領下にあり、王党派(スペイン派)と独立派、カトリックとプロテスタントとユダヤ人と、多人種多文化が混在して混乱が生まれていた。「バベルの塔」の設定も同時代。画面右手の港はブリューゲルが暮らしていたアントワープの港だし、塔のモデルはブリューゲルがイタリア旅行で訪れたローマのコロッセオだ。
コロッセオには秘められた意味がある。ここではローマ帝国時代、キリスト教徒が猛獣に殺される見せ物が行われていた。そのためコロッセオは迫害の象徴であり、ここでは新教徒を迫害していたスペイン国王フェリペ2世を暗示する。ブリューゲルと同世代のフェリペ2世はカトリックの盟主を自任し、おびただしい数の新教徒を虐殺した。また、塔が岩を削って造られている点に、岩が象徴するカトリック教会の崩壊を見る説もある。
フェリペ2世が重要な役割を演じるオペラが、ヴェルディの「ドン・カルロ」である。16世紀のスペイン宮廷を舞台に人々の葛藤を描く物語だが、通奏低音はフェリペとカトリック教会による新教徒の迫害だ。オペラの原作者である18世紀ドイツの劇作家フリードリヒ・シラーはプロテスタントで、フェリペとカトリック教会の蛮行を本作で痛烈に批判した。ヴェルディ自身はカトリックだったが、教会にはしばしば批判的な目を向けていた。オペラの中ほどに置かれた異端者火刑の場には、フランドルからの使節団がフェリペの息子である王子ドン・カルロに率いられて登場し、王の前にひざまずいて慈悲を乞う。フランドルの惨状を暗示する、荒れ狂う音楽とともに。
批判精神。それはいつの時代も、名作の原動力となる重要な要素なのである。
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ヴェルディ「ドン・カルロ」公演情報
新国立劇場 オペラ公演
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/doncarlo/
筆者プロフィル
加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」「バッハ」(平凡社新書)。最新刊は「オペラで楽しむヨーロッパ史」(平凡社新書)。
公式HP
ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」
https://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/