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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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DASH村も渦中に 除染「なぜ復興拠点だけ」 国は慎重姿勢崩さず

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復興拠点内にある自宅で、家族の身長を記した柱を見つめる三瓶春江さん=福島県浪江町で2021年2月1日、和田大典撮影
復興拠点内にある自宅で、家族の身長を記した柱を見つめる三瓶春江さん=福島県浪江町で2021年2月1日、和田大典撮影

 東京電力福島第1原発事故に伴う「帰還困難区域」について、政府は「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」でのみ除染を進める方針だ。被災自治体からは帰還困難区域全域での除染を求める声が上がるが、費用対効果を疑問視する国は慎重姿勢を崩していない。【金寿英、寺町六花】

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 福島原発事故で全域が帰還困難区域となっている福島県浪江町津島地区。福島市に避難している三瓶(さんぺい)春江さん(61)の自宅は、地区全体の面積の1・6%にとどまる復興拠点の中にある。拠点内では、長期避難で傷んだ家屋の解体が進む。三瓶さんも国の費用で解体するかどうかを迫られ、義理の両親から孫まで4世代10人で暮らした築40年ほどの家を取り壊すことにした。「貧しいなか、苦労して家を建てた義父の気持ちを思うとつらい」と悩んだが、子や孫のために決断したという。

 だが、避難指示の解除に向けた復興拠点の整備のあり方に疑問を感じている。除染が行われるのは宅地や農地など生活空間のみ。津島地区では自家栽培の野菜や、山で採れたキノコを近所で交換するのがならわしだった。「病院や店もなく、山林のほとんどは除染されない。地域は成り立つのか。帰還の意向を尋ねられても、どう答えてよいのか分からない」

 津島地区(旧津島村)は元々、国策で発展した集落だ。江戸時代からの旧家に加え、旧満州(現中国東北部)からの引き揚げ者や農家の次男、三男らが入植してきた。政府の「食糧増産」の掛け声の下、荒れた土地が開墾されていった。三瓶さんの両親も、福島県二本松市から旧満州に渡った後、命からがら帰国した。生後4カ月だった三瓶さんは1960年、両親と兄姉ら家族計8人で津島地区に移り住んだ。

 元町議の三瓶宝次(ほうじ)さん(84)はそうした入植者を支援してきた一人だ。「当初は小屋でランプをともす苦しい生活だったが、新旧住民で協力して現在の津島地区が形成されていった」と振り返る。宝次さんは、人気アイドルグループ「TOKIO」が農作業をするテレビ番組企画「DASH(ダッシュ)村」の舞台となる土地も提供した。…

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