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鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」

膨大な取材メモの中から、珠玉の一言を拾い上げる。社会問題を追い続けてきた反骨のルポライターが、これまでに出会い、感銘を受けた人々を振り返り、戦後史の一こまを切り取っていく。

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鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」

「やられるかもしれない」 本島等 /長野

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銃撃後に入院した病院から退院し、見送られる本島等さん=長崎市立市民病院で1990年2月21日
銃撃後に入院した病院から退院し、見送られる本島等さん=長崎市立市民病院で1990年2月21日

銃撃予感した暗いつぶやき

 九州最西端の五島列島。30戸ほどの隠れキリシタンの集落。母親はカトリックの「公教要理」の「教え方」(教師)だった。父親は小舟で魚をとって生活していた。隣村に妻子がいた。「いっぺんだけでぼく産んどるんです。母がそういったの」

 初対面なのに、本島等長崎市長はこちらが動揺するほどに、あけすけだった。それが相手の反応をみるためなのか、それとも人柄なのか、と戸惑うほどだったが、話はそのまま進んだ。

 父親は村から追放された。母親は彼を産んで11カ月後、対岸の佐世保に嫁いだ。「母は父を恨んでいたですね。『教え方』はだめになったし、オムツ一枚もらったわけではない」。洒脱(しゃだつ)な話術がひとを魅了した。

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