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東京へ ともに歩む

毎日新聞

返還された米軍居住地のワシントンハイツを活用した東京・代々木選手村=1964年

オリパラこぼれ話

男子禁制で厳重警備の女子選手村 日本文化の交流やハプニングも

 オリンピック・パラリンピック大会に出場する各国選手らが期間中に生活の拠点にする選手村。東京2020大会の選手村は東京・晴海に建設されるが、東京1964大会では、男子禁制の女子選手村が存在した。金網フェンスに囲まれ、出入りが厳しくチェックされた。女子選手らはどのような日々を送っていたのか。

     日本オリンピック委員会(JOC)などによると、選手村の始まりは24年パリ大会。現地の事情が分からない選手のために、スタジアム近くに建てられた50戸ほどの木造の宿泊施設だった。47年に五輪憲章で選手村が規定され、東京大会を迎えた。

    オープン直前の金網フェンスに囲まれた女子選手村(奥)に入る女性従業員ら=1964年9月、川辺信一撮影

     メインの選手村は東京・代々木に置かれ、米国から返還された米軍居住地「ワシントンハイツ」の広大な敷地約66ヘクタールを活用した。宿舎は既存の建物なども使い、約5900人の収容を可能にした。宿舎以外に食堂、診療所、売店、練習場のほか、娯楽のクラブ、劇場などの施設があった。道路は五輪開催都市のローマやアテネ、ヘルシンキなどの名称が付けられた。三つの食堂は全国から集まったシェフが腕を振るい、料理長は有名ホテルから迎えるという充実ぶり。女性はどの施設も利用できた。

     女子選手村は代々木選手村の北西の一角にあり、ゲートは自衛隊員が警備した。報道関係者も女性に限定され、取材中は女性の警官や職員が付き添った。当時の大会組織委員会の資料には「過去のオリンピックの伝統に従い、女子選手役員の精神的生活環境を整えるため男子の入村を厳重に規制した」とある。物々しい雰囲気だが、女子選手らは生活を楽しんでいたようだ。女子選手村の職員だった奥山眞さんが自身の日記を基に書き下ろした「東京オリンピック女子選手村」(国書刊行会発行)には、日本文化の交流や女子選手村ならではのハプニングの様子などが収められている。

    女子選手村でお琴を習う海外の選手ら=1964年10月

     それによると、女子選手村では琴の演奏会や着物の着付け、折り紙、書道、生け花の体験レッスンなど和の催しが行われ、大盛況だった。折り紙は童心に帰って夜の更けるのを忘れて興じ、「オリンピック種目に加えてほしい」「国へ帰って折り紙の学校を開きたい」と話す選手もいたという。美容室も人気で頻繁に訪れる選手もおり、連日混雑した。一方、秋晴れの日曜日にドイツ選手が一堂で1泊の箱根旅行に出かけることになった時、男子選手を乗せたマイクロバスは女子選手村のゲートに到着したが、規則に従って男子選手は全員バスから降り、待機させられる事態も起きた。バスを運転できる女子選手をゲートに呼び出し、その選手が他の女子選手を乗せてゲートに戻り、男子選手らと合流した。また、閉会式前日の夜遅くに厳しい警備をかいくぐって不法侵入した女装男性が現れた。警備隊が駆け付けて捜索したが、既に脱走して発見できなかったという。

     選手村の宿舎は、84年のロサンゼルス大会から各国別に割り当てられるようになり、男女の別はなくなった。【関根浩一】

    関根浩一

    毎日新聞オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。