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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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200キロ離れた埼玉から「双葉町民の代弁者」に 新人町議の願い

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旧騎西高校前に新設されたモニュメントの前に立つ作本信一さん=埼玉県加須市で2021年3月6日午後2時4分、山田研撮影
旧騎西高校前に新設されたモニュメントの前に立つ作本信一さん=埼玉県加須市で2021年3月6日午後2時4分、山田研撮影

 東京電力福島第1原発事故による全町避難が唯一続く福島県双葉町で、200キロ以上離れた埼玉県加須(かぞ)市に住む町議が1月に誕生した。現在、町民の3分の1以上が福島県外で暮らすものの、8人の町議で県外在住者は1人だけ。事故から10年を経て新たな営みが各地で築かれ、地域のつながりも薄れる中で、避難先から「町民の代弁者」になった思いはどこにあるのか。【山田研】

避難町民384人が暮らす埼玉・加須

 当選を祝うコチョウランの鉢が居間に置かれていた。1月の双葉町議選で初当選した作本信一さん(67)の自宅は加須市の新興住宅街にある。だが、住民票は故郷の町に残したままだ。

 原発が立地する双葉町は2011年3月12日、住民約6800人の全町避難を決定。県内の川俣町、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)を経て、約1200人の避難先となったのが加須市内の旧埼玉県立騎西(きさい)高校だった。4月1日に役場機能や議会もここに置かれた。役場は2年後、「埼玉支所」を残して福島県いわき市に再移転したが、加須市によると、今年3月1日の時点でも384人が双葉町に住民票を残したまま加須市内で暮らしている。

 両親、妻子、孫の4世代がいた作本さん一家は旧騎西高から加須暮らしが始まり、一時、市内のアパートに住んだ。父(1月に94歳で死去)が古里に戻ることをあきらめて住宅購入を希望したことや、加須の小学校に通う2人の孫に友だちができたことから、15年に加須で家を購入した。

住民のつながり 原発事故で一変

 加須で暮らしながらもずっと…

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【東日本大震災】

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