新しい家族と帰りたい 故郷・双葉での子育てを夢見て
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福島県楢葉町を南へ50キロ。東北の玄関口「勿来(なこそ)の関」で有名な同県いわき市勿来町に入る。東日本大震災の東北沿岸部の被災地を記者がリレー形式で再訪し、被災者の声を伝えてきた「続・沿岸南行記」ももう終点だ。あと2キロほど行けば茨城県にたどり着く。その場所に、東京電力福島第1原発事故で避難した福島県双葉町の住民らが暮らす災害公営住宅「勿来酒井団地」がある。
2月27日、団地を訪ねた。まちづくりに携わる一般社団法人「ふたばプロジェクト」に勤める山根光保子(みほこ)さん(38)が、戸建てタイプの家から2人の幼い娘の手を引いて散歩に出た。斜め向かいの松本節子さん(70)と合流し、団地裏の川の土手で花を摘んだり、世間話をしたり。こんな暮らしが双葉でできたら――。いまだに住民の帰還が許されない古里への思いが募る。
高校を出るまで双葉で育った。父は震災の前に病死し、2人の姉は共に結婚してそれぞれの生活を送っていた。あの日は仕事で仙台市にいた。大きな揺れの後、寸断されていた道路を遠回りして自宅に着いたのは午後11時ごろ。玄関に母正子さんの字で「役場にいます」と張り紙があった。町役場の避難所で顔を見て、ほっとした。
それから母と娘の避難生活が始まった。埼玉県入間(いるま)市の県営住宅に入ると、正子さんはたびたび「福島に帰りたい」と口にした。勿来に仮設住宅ができたので、そこに移ったが、慣れない環境に「きつかったと思う」と光保子さん。母は少しずつ体調を崩し、2012年4月に病気で亡くなった。63歳だった。「もう少し話を聞いてあげられれば」。小さな悔いが今も残る。
思い出すのは…
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