特集

東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

特集一覧

官僚たちはどう復興を描いたか? 事務次官経験者2人に聞く

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
インタビューに答える佐藤慎一・元財務事務次官=東京都千代田区で2021年2月19日、内藤絵美撮影
インタビューに答える佐藤慎一・元財務事務次官=東京都千代田区で2021年2月19日、内藤絵美撮影

 東日本大震災の復興に向けて、首相の諮問機関である復興構想会議を支えたり被災者支援に当たったりした官僚は何を考え、どう動いたのか。発生直後から携わった2人の事務次官経験者に話を聞いた。【関谷俊介】

佐藤慎一氏が創造的復興に込めた思い

 当時、内閣官房内閣審議官だった。物資支援などの緊急対応のオペレーションは必要だが、その先にある、あの土地をどう復興させるのかということを考えた。さっそく部下に阪神大震災でどのような法律を作ったか資料を集めさせた。

 東日本大震災とどう向き合うのか。地域の問題ではなく日本の問題と位置づけるために復興基本法が必要だと思った。テレビで被災地の映像が流れる中、周りからはのんびりした作業に見えたかもしれないが、部下と3、4人でどんな言葉を落とし込むかかなり議論した。1週間後にはほぼ条文の形になった。誰にも言われずにやったが、仙谷由人官房副長官(当時、2018年死去)は「どんどんやれ」と言ってくれた。

 議論の中で、どこかの資料にそうした表記があったと思うが「創造的復興」という言葉がフィットすると考えた。悲しい出来事を繰り返さないために経験から学ぶ必要がある。また、人口減少の中、同じ場所にまちを復元するのがいいのか、次の次の時代にも耐えられるまちが必要ではないか。そうした思いを込めた。

 復興基本法では、内閣法制局の審査を経て「創造的復興」という言葉は法律用語としてそぐわないので、「単なる災害復旧にとどまらない一人一人の人間が豊かな人生を送ることができるようにすることを旨として行われる復興」といった表現に置き換わった。一方、震災1カ月後の復興構想会議設置の閣議決定には残った。大震災を自らの問題として捉えてほしいという思いから「今を生きる国民全体の相互扶助と連帯」という表現も盛…

この記事は有料記事です。

残り1603文字(全文2358文字)

【東日本大震災】

時系列で見る

次に読みたい

あわせて読みたい

注目の特集