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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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東日本大震災10年・メッセージ

「泣かないで」歌いながら泣いた日 舘ひろしさんが触れた優しさ

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東日本大震災の被災地で炊き出しをした当時を振り返る俳優の舘ひろしさん=東京都千代田区で2021年3月2日、竹内紀臣撮影
東日本大震災の被災地で炊き出しをした当時を振り返る俳優の舘ひろしさん=東京都千代田区で2021年3月2日、竹内紀臣撮影

 東日本大震災の被災地ゆかりの著名人に、東北での思い出や被災地へのエールを聞くシリーズ「メッセージ」は今回、俳優の舘ひろしさん(70)です。震災翌月の2011年4月、石原プロモーション所属の俳優ら「石原軍団」の一員として宮城県に支援活動に入りました。被災者への励ましにと、自身のヒット曲「泣かないで」を歌ったところ、人生初の体験をします。【聞き手・構成 竹内良和】

 1週間という短い間でしたが、宮城県石巻市の公民館をお借りし、駐車場で炊き出しをさせていただきました。石原プロの炊き出しは、撮影現場で「昼飯が弁当だけじゃ寂しいだろう」となり、よく豚汁を作っていたのが始まりです。デザートも作ろう、ぜんざいも作ろうと、あれもこれもというふうに、レパートリーがどんどん増えていったんです。

 1995年の阪神大震災の時も炊き出しに行った経験があり、とにかく屋根のあるところだけお借りできれば、被災地の方に一切迷惑をかけないということを決めていました。20台を超える車の燃料、水や食料、トイレも含めて準備をしていたので、現地入りが発災から少し後になってしまいました。ずっと寝袋で寝泊まりし、毎日体を拭いて過ごしました。

 一番助かったのは、宝酒造(本社・京都市)さんがお酒のタンクローリーに水を入れて持ってきてくれたことです。石原プロを率いた石原裕次郎さん、渡哲也さんが長年CMに出演していた日本酒「松竹梅」のメーカーです。タンクに真水を一回入れると、今度お酒を入れるときには特別な処理をしなくてはいけないらしいのですが、それも覚悟で社員の方とともに提供していただきました。

「売名行為」の恐れ乗り越えて

 どう支援活動をするのか、役員会を開いて話し合いました。社長だった渡さんは、炊き出しにはどちらかというと慎重だったのではないかと思います。「売名行為」と思われることをすごく嫌がっていて、別の支援方法を考えているようでした。でも、…

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【東日本大震災】

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