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大震災10年 国の復興政策 ハード偏重の限界見えた

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 東日本大震災から10年となる。

 関連死を含め2万2000人以上が犠牲になった。宅地造成やインフラ整備などハード事業はほぼ完了したが、復興は道半ばだ。

 政府はこの間、復興事業に32兆円を投じた。だが、多くのまちで震災前からの課題だった人口減少が加速している。復興の実感が薄いという住民も少なくない。

 政府の「復興構想会議」の提言で、合言葉となったのは「創造的復興」だった。単なる復旧にとどまらず、日本のあるべき将来像を示すという壮大な理念だ。しかし、実現したとは言えない。

 具体的な復興計画は各自治体が策定したが、予算は全額、国の負担となった。そのこともあって事業が肥大化し、結果的に復興政策はハード偏重となった。

事業長期化で人口流出

 岩手県大槌町では、町長らを含め人口の1割近くが津波の犠牲になった。

 その夏、町長に就任した碇川(いかりがわ)豊さん(69)は、町の中心部をかさ上げする土地区画整理事業に乗り出した。

 公共施設や商業施設を集積し、新しいまちをつくる計画だった。その中核として全壊した旧役場庁舎を保存し、町外から人を呼び込むのに活用しようと考えた。

 町は震災前から過疎化や高齢化が進んでいた。観光を中心に町を再生させる狙いだった。

 だが、造成事業は難航した。古い登記で所有者が分からない土地の存在が次々に判明したためだ。

 住まいや仕事をなくした被災者は、目の前の生活に不安を抱えている。復興の遅れに対する不満が広がり、4年後、碇川さんは再選を逃した。

 旧庁舎は解体され、まちづくりのテーマは見えなくなった。

 震災から7年近くたって中心部の造成は完了したが、空き地が目立っている。

 碇川さんは「住民が食べていける町を目指したのは間違っていない。しかし、高齢者の多い実情には合わなかったかもしれない」と話す。

 区画整理や高台移転など造成事業の長期化によって、住民が住宅再建をあきらめるケースは、同県陸前高田市や宮城県石巻市など他の自治体でも相次いだ。

 そもそも区画整理は時間を要する事業だ。スピード感が求められる復興には適さない。人の流出が進む地域であればなおさらだ。

 だが、政府が提示したまちづくりの手法は限られ、自治体に選択の余地はほとんどなかった。要員も専門的な知識も不足したまま走り出すしかなかった。

 復興の方針について短期間で住民の合意を得るのは難しい。今後は大災害が起きる前に、自治体と住民がまちの将来を見据え、方針を協議しておくことも大事だ。

生活再建の支援さらに

 ハード事業と比べ、被災者の生活支援は手薄だった。

 被災者に直接支給される「生活再建支援金」は1世帯当たり最大300万円で、対象は全壊と、半壊の中でも大規模なものに限られていた。

 そのため多くの被災者が支援を受けられず、壊れた家にブルーシートを張って住み続けた。支援金の支給対象に中程度の半壊が加えられたのは昨年のことだ。

 国が東日本大震災で補助した支援金の総額は約3000億円にとどまる。

 この10年で被災者一人一人の復興の格差は広がっている。

 震災前の生活を取り戻した人がいる一方、今でも震災の影響から脱することができない人が少なくない。

 毎日新聞が震災で片親か両親を亡くした子どもと保護者にアンケート調査をしたところ、世帯所得200万円未満の家庭が震災前は6%だったのが、震災後は4割超に増えていた。ひとり親家庭などが困窮している状況が浮かぶ。

 被災者を苦しめているのは経済的な事情だけではない。

 かつてのコミュニティーが崩壊し、その再建が進んでいない地域がある。一人も知り合いのいない災害公営住宅で、誰にもみとられずに「孤独死」する高齢者が多数いる。

 そうした人たちを取り残さず、支えていくことは、今後の行政と地域の課題だ。

 「復興」に向けて何ができて、何ができなかったのか。詳しく検証し、これからの取り組みに生かしていかなければならない。

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