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2011年3月11日の東日本大震災から10年を迎える。震災時に国会は毎年恒例の予算案審議が大詰めで、多くの国会議員は東京にいたが、民主党政権の国会対策委員長だった安住淳・立憲民主党国対委員長(59)=衆院宮城5区=は、地元で家族や支援者が被災した。「復興は人生の全て。生きるか死ぬかだった」と当時を振り返る安住氏に、10年間の復興の歩みや被災地の将来像を聞いた。
発生時は「関東大震災が来たかと」
東日本大震災が起きたとき、私は国会内にある民主党国対委員長室のテレビで、菅(かん)直人首相(当時)が出席する参院決算委員会の質疑を見ていた。国会天井につるされたシャンデリアが大きく揺れて、机の下に潜った。最初は関東大震災が来たのかと思った。
ところがテレビをつけたら震源が東北の沿岸部だと言うから、間髪入れずに宮城県石巻市の事務所や両親の住む実家に電話をかけたけれど、全然通じない。テレビで映像を見ていたら仙台湾や八戸の津波の映像が流れて、「石巻はこんなものではないのではないか」って非常に悪い予感がした。それが始まりだった。
両親と連絡取れず、国対委員長の辞職願
夕方から夜にかけて、すさまじい津波で街がなくなっているところもあると自衛隊から一報があり、今度はJR東日本の役員から仙石線で走っていた車両が消えた、流されたという話が入った。テレビでは気仙沼の慣れ親しんだ町が焼き尽くされている映像が流れ出して、あぜんとするしかなかった。
翌日の朝にテレビをつけたら驚嘆した。志津川、南三陸、石巻、気仙沼。もうまるで空襲で廃虚となったような街になっていた。石巻市の沿岸部はほぼ全滅している。本当に現実とは受け入れ難いも…
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