連載

沖縄、台湾をつむぐ

琉球王に仕えた名家・川平家。琉球処分から日本統治下の台湾、戦後の沖縄へ。激動の時代をたどり、沖縄と台湾を見つめます。

連載一覧

沖縄、台湾をつむぐ

特産物の砂糖高騰が一転 関東大震災が追い打ち「ソテツ地獄に」

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
生活に困窮した人々は、ソテツの実や幹を食べて飢えをしのいだ=那覇市内で、鈴木玲子撮影
生活に困窮した人々は、ソテツの実や幹を食べて飢えをしのいだ=那覇市内で、鈴木玲子撮影

 第一次世界大戦(1914~18年)は日本に好景気をもたらした。戦争に突入した欧州が軍需品などを日本から輸入し、アジア市場から欧州製品が後退したことで日本が市場を独占したからだ。

 沖縄では主力産業の砂糖が売れに売れ、活況を呈した。こうした中、警察を辞めた川平朝平(かびら・ちょうへい)さんは、那覇で友人たちと石炭・黒砂糖を扱う会社を起こした。妻のツルさんは知人に譲られた琉球菓子店を営んだ。砂糖価格は14年ごろから上昇し、20年には3倍強の高値を付けたという。農家のサトウキビ栽培にも熱が入り、砂糖でもうけた「砂糖成金」も出現した。

 だが、「大戦景気」は長くは続かなかった。終戦後、列強が再びアジアに進出。日本の輸出は激減し、長い不況に陥っていく。朝平さんとツルさんは首里(現・那覇市)の士族出身で、商売の経験はなかった。そんな2人に厳しい世情は容赦なかった。「そのころの那覇の人は『ツケといて』が多く、その集金に時間がかかり、那覇での商売は、すいんちゅ(首里人)には向かなかった。おまけに菓子店にいた職人が使い込みをするような人だったのよ」。ツルさんは後に、四男の朝清(ちょうせい)さん(93)にこう語った。

 砂糖相場は暴落し、沖縄経済に打撃を与えた。川平家の暮らしも窮迫した。家族の不幸にも見舞われた。17年ごろ、朝平さんの父、朝彬(ちょうひん)さんが78歳で他界した。琉球の男性が頭に結うまげ「かたかしら」に伝統衣装の「琉装」姿で埋葬された。

 「ソテツ地獄」。…

この記事は有料記事です。

残り2743文字(全文3376文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集