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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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南三陸に笑顔咲かせ続ける 震災直後に生まれた女児と家族の物語

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仮設住宅前に止めた「しお彩号」前で母美由紀さん(左)に抱かれる美咲さん、姉華紗さん(中央)、父一美さん(右)と兄吏稀さん=宮城県南三陸町の志津川高校グラウンド仮設住宅で2012年2月24日、梅村直承撮影
仮設住宅前に止めた「しお彩号」前で母美由紀さん(左)に抱かれる美咲さん、姉華紗さん(中央)、父一美さん(右)と兄吏稀さん=宮城県南三陸町の志津川高校グラウンド仮設住宅で2012年2月24日、梅村直承撮影

 2011年3月11日、宮城県南三陸町。後藤美咲さん(9)は町職員だった美由紀さん(42)のおなかの中にいた。役場では多くの同僚が町防災対策庁舎に避難し犠牲となったが、産休に入って4日目だった美由紀さんは難を逃れた。

 5月1日未明、避難していた小学校の体育館で美由紀さんは産気づいた。夫一美(かつみ)さん(49)の運転で約40キロ離れた病院へ急ぎ、午前4時48分、3478グラムの女の子が生まれた。一美さんが避難所に戻り報告すると、拍手が湧き起こった。その響きと皆の表情を家族は忘れることができない。

 一美さんが営んでいた「しお彩」は海鮮丼が人気だった。大津波で自宅と店が流され、何もかも失った。仮設住宅に移り、子どもたちが狭い部屋で寄り添い眠る姿を見守りながら、総菜の移動販売を始めた。半畳の厨房(ちゅうぼう)がある軽トラックに「しお彩号」と名付け、仮設住宅や買い物に不自由する住民に食事を届けた。一美さんは慣れぬ狭い厨房でやけどを何度も負った。車内が50度を超える夏も料理を作り、氷点下の冬も路上…

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