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ヤングケアラー~幼き介護

通学や仕事をしながら家族の介護をする子ども「ヤングケアラー」。重い負担から将来が左右される深刻なケースも。

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山崎育三郎さん 「僕もヤングケアラーだった」 祖父母の介護経験

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記者の質問に答える元ヤングケアラーで俳優の山崎育三郎さん=東京都目黒区で2021年、玉城達郎撮影
記者の質問に答える元ヤングケアラーで俳優の山崎育三郎さん=東京都目黒区で2021年、玉城達郎撮影

 ミュージカルやテレビドラマなどで活躍する俳優の山崎育三郎さん(35)が、毎日新聞のインタビューに応じ、認知症を患った祖父母を高校時代から2年間、1人で在宅介護した経験を振り返った。「僕もヤングケアラーだったと思います」と話した山崎さんが、家族の介護や世話に追われて孤立するヤングケアラーの子どもたちに向けて語ったこととは――。【聞き手・構成 田中裕之、山田奈緒】

高校生の決断「僕がやる」

 僕が1人で祖父母を介護する生活が始まったのは、高校生の頃です。高校2年から米国に1年間留学し、日本へ帰国したタイミングでした。祖父母は僕が小学生の時に患った脳梗塞(こうそく)がきっかけで、祖父は認知症になってうまく言葉を伝えられず、祖母は右半身不随で車椅子生活をしていました。当時、僕の両親は離婚して母は実家の岡山県、父は単身赴任で北海道。3人の兄弟も留学や学校の寮生活で、東京の家には僕しかいませんでした。

 転勤が多い父はなかなか東京におらず、それまでは母が十数年間、ほぼ1人で父の両親である祖父母の介護をしながら働き、子育てもしてきました。母が介護していた頃の状況はもっとひどく、祖父はキングコングのように暴れ回ったり、物を壊したりすることがありました。母は精神的にも肉体的にもかなり追い込まれて、留学中の僕に「私、だめかもしれない」と電話してきたこともあります。

 僕は、母の戦争のような日々を子供の頃からずっと見ていたし、親元を離れて米国で過ごす中で自信と自立心が生まれていたので、祖父母の介護を決断しました。当時は「子育てしながら介護もしてきた母に比べれば、数年間なら僕1人でも大変じゃない」と思っていたんです。

介護の日々 人生で一番しんどかった

 朝起きたら…

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