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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

/10 倒幕の密議/下 大激論の末、中止決断 /埼玉

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渋沢栄一や尾高惇忠らが横浜の外国人居留地焼き討ちなどを企て大激論を交わした尾高惇忠生家2階の座敷=埼玉県深谷市下手計で2021年1月8日、中山信撮影
渋沢栄一や尾高惇忠らが横浜の外国人居留地焼き討ちなどを企て大激論を交わした尾高惇忠生家2階の座敷=埼玉県深谷市下手計で2021年1月8日、中山信撮影

 攘夷(じょうい)の志に燃え、上野(こうずけ)(群馬県)の高崎城を乗っ取り横浜の外国人居留地を焼き打ちにする計画を企てた渋沢栄一、尾高惇忠、渋沢喜作。3人は、同志と見込んだ惇忠の弟、長七郎に手紙で計画を打ち明けていた。

     ◇

 潜伏先の京都から戻った尾高長七郎との密議が行われたのは、文久3(1863)年10月29日夜、尾高惇忠生家(深谷市下手計(しもてばか))2階南西にある床の間付きの8畳間といわれる。

 長七郎は強く反対した。栄一らにとっては予想外の言葉だった。「計画は大間違い。70人程度の兵ではどうすることもできず、すぐに幕府や諸藩の兵に討滅されることは明らかだ」(口述自伝「雨夜譚(あまよがたり)」)

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