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現代社会の豊かさが、いかに、もろい基盤の上に成り立っているか。東日本大震災と福島第1原発事故は、その厳しい現実を浮き彫りにした。
多くの人々があの時、日々の暮らしを支えているものは何だったのかを考え、自分の生き方や社会のあり方を見つめ直した。
未曽有の災禍を前に、家族の絆を強く実感する人が増えた。地域とのつながりや、社会全体で助け合うことの必要性を再認識した人も多い。
首都圏では交通や通信がまひし、約515万人もの帰宅困難者が出た。人も機能も過度に集中した大都市の脆弱(ぜいじゃく)さがあぶり出された。
原発の「安全神話」は崩れ、電力不足で節電意識も高まった。
それから10年を経過した日本の現状はどうだろうか。
大きく変わらない社会
地域のつながりは、より希薄になり、孤立している人が少なくない。町内会や自治会は加入率が下降傾向にある。
内閣府の意識調査でも、地域との付き合いがあると答える人の割合は年々低下している。
東京への一極集中はさらに進み、地方は女性を中心に若者が流出して衰退している。
省エネ技術は進んだが、電力の消費は大きく減っていない。
再生可能エネルギーが利用されつつあるものの、火力発電頼みの状況は変わっていない。原発は再稼働し、地球温暖化対策で活用を求める意見も根強い。
この間、安倍政権はアベノミクスを掲げて景気回復を図った。だが、「取り戻す」という言葉の前に、震災時の思いはかすんだ。
その理由について、復興構想会議で検討部会に加わった日本総合研究所の藻谷浩介主席研究員は「震災で社会に強いストレスがかかり、悪いことは忘れたいという自己防衛の機能も働いているのではないか」と分析する。
10年たった今、新型コロナウイルスの流行によって、社会は再び困難に直面している。他人と密接に関わる機会が減り、支援が届かず困窮する人も増えている。
このままでいいのかという問いが、再び投げかけられている。
こうした中、暮らしを変えるという意識を持ち続け、新たなコミュニティーづくりに取り組む市民の動きがある。
「トランジション・タウン」という活動だ。英国が発祥で、トランジションは「移行」を意味し、浪費社会からの決別を目指す。
震災を機に、都市部を含め全国に拡大し、現在は約60地域で行われている。先駆けは相模原市の山あいにある藤野地区の人たちだ。
原発事故を受け、電力は自分たちで賄おうとの声が上がった。業者に頼らず、ソーラーパネルから小型の太陽光発電装置を自作し、そのやり方を広めた。この取り組みは「藤野電力」と名付けられ、全国から注目され、各地で体験型講座を開いてきた。
つながりを育む動きも
藤野ではこれまでも、物やサービスを必要とする人と、提供できる人が情報を共有し、助け合う仕組みを設けてきた。森林を保全するための間伐や、穀物の栽培、養鶏にも共同で当たっている。
一つ一つの取り組みは小さいながら、自分が必要だと思うことを考え、行動し、支え合うことで、地域の持続可能性を実現しようとしている。
中心メンバーの一人の小山宮佳江(みかえ)さん(53)は「1人では無力だが、コミュニティーでやれば、できることがある。地域のつながりも深まった」と話す。
コロナ禍で、普段からの地域のつながりが改めて重要視され、トランジション・タウンについての問い合わせも増えているという。
昔からのコミュニティーの維持に努めてきた地域の取り組みも、見直されている。
ボランティアやNPO活動は阪神大震災で活発になり、東日本大震災で社会に根付いた。その後の災害でも生かされている。
意識が変わり、自発的に行動しようとしている人たちのうねりは、まだ小さいかもしれない。
しかし、一人一人ができることを実行すれば、共感する人が加わり輪が広がっていく。そんな動きが積み重なれば、少しずつでも社会を変えていく力になるはずだ。
10年前のあの時、それぞれが抱いた思いを再確認し、行動していきたい。