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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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決死の放水作業 あの日福島第1原発で何が起きていたのか

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福島第1原発構内で放水作業の準備をする警視庁の機動隊員ら=2011年3月17日午後、警察庁提供
福島第1原発構内で放水作業の準備をする警視庁の機動隊員ら=2011年3月17日午後、警察庁提供

 2011年に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故で、警察や消防は爆発した原子炉建屋への放水という前代未聞の任務に当たった。あれから10年。見えない放射能と闘いながら冷却を試みた警視庁の元警察官や東京消防庁の消防士に当時の思いを聞いた。【斎藤文太郎、鈴木拓也】

Jヴィレッジをヘリで目指すも…

 警視庁警備2課で爆発物対策の担当管理官(警視)を務めていた大井川典次さん(66)は11年3月16日午前、課長から「福島へ行ってくれ」と突然指示された。仕事の内容は原発施設での放水の指揮だった。福島第1原発は12~15日、1、3、4号機が相次いで水素爆発し、温度が上昇していた使用済み核燃料プールなどの冷却が求められていた。警視庁が地上からの放水作業の口火を切ることになった。

 警備2課員は以前から核、生物、化学テロや爆発物への対応訓練を繰り返していた。大井川さんは原発を視察したこともあったが、原発事故は東電が対応すると思い込んでいた。家族には「福島に行く」とだけ連絡し、16日昼には東京・新木場の警視庁のヘリポートに機動隊員らと集まった。総勢13人だった。空路で航空自衛隊百里基地(茨城県小美玉市)に入り、放射能対策として自衛隊が保有する分厚い鉛板が入ったベストを借り受けた。原発事故対応の前線基地となっていたサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)をヘリで目指したが、着陸の受け入れ態勢が整っておらず、引き返して陸路で目指した。

状況把握できないまま第1原発へ

 原発を制御できない状況で、政府幹部は記者会見で「想定外」の言葉を何度も口にしていた。現場から届く情報も混乱し…

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【東日本大震災】

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