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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

オペラ評論家の香原斗志さんが、往年の名歌手から現在活躍する気鋭の若手までイタリアのオペラ歌手を毎回1人取り上げ、魅力をつづります。

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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

<第14回> ローレンス・ブラウンリー(テノール)

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新国立劇場で4月に上演予定の「ルチア」でエドガルド役を歌うブラウンリー (C) Shervin Lainez
新国立劇場で4月に上演予定の「ルチア」でエドガルド役を歌うブラウンリー (C) Shervin Lainez

アジリタも超高音もレガートも

 ローレンス・ブラウンリーは、実は2006年12月、新国立劇場のロッシーニ「セビリャの理髪師」でアルマヴィーヴァ伯爵を歌っている。あえて「実は」と書いたのは、記憶している人が多くないと想像するからで、と言うのも、このときフィナーレに置かれた至難の大アリア「もう逆らうのはやめろ」を歌わせてもらえなかったのである。これを歌っていれば、ブラウンリーの至芸は語り草になったことだろう。

 初めてブラウンリーの歌を聴いたのは、2000年代の初めだっただろうか。超絶技巧に度肝を抜かれたのを覚えている。決して軽い声ではない。むしろ強靭(きょうじん)と呼べるほどの声で、声帯がかなり厚いと思われるが、おそらくは、厚さと並みはずれたしなやかさが同居しているのだろう。電光石火のごときアジリタが圧倒的な印象を残すのだ。

 しかも、超高音まで少しもストレスなく駆け上がる。それは高音が自在だという表現では、とても言い尽くせない水準である。声区の転換がスムーズなのは言うまでもなく、響きの質を少しも変えずにCやDはもちろん、時にFまであまりに自然に上昇する。きっと黒人の一流アスリートのバネや瞬発力と同種のものが、ブラウンリーの肉体には備わっているのだろう。

 2016年6月にチューリッヒ歌劇場で、ベッリーニ「清教徒」のアルトゥーロを歌ったときのこと。登場のアリアでCisを延々と響かせ、その後のDも燦然(さんぜん)と輝かせたが、この役には第3幕のフィナーレのアンサンブルにFが書かれている。一般にはDに下げて歌われることが多いが、きっとブラウンリーはFを出すのではないか。客席で固唾(かたず)をのんで見守る私の前でハイFは出された。それもきわめて自然な胸声で、しっかりと響かせたのである。むろん私は興奮したが、意外にも客席はさほど反応しなかった。あまりに自然に発声されたため、聴衆の多くは、それが特別の声であることに気づかなかったようだ。

 また、アルトゥーロという役はレガートの美しさが求められるが、ブラウンリーはそれも持ち味にしている。一般に声帯が薄いほうが、機敏に動くので小さな音符が連続するフレーズを歌いこなしやすい。だが、ブラウンリーの声帯は、先に記したようにおそらく厚い。彼がアジリタなどの装飾歌唱を楽にこなすのは、あくまでも声帯が柔軟だからであって、一方、その厚さゆえに、堂々たるレガートを聴かせることもできるのだ。

 ただし、キャリア初期のころは響きにアクがあって英語なまりも強く、身体能力とテクニックには感心しながらも、私はどこか浸りきれなかった。しかし、真面目な努力家なのだろう。そうした欠点は年を追って消え、衰えは少しも感じられない。そのうえ歌にエレガンスも宿り、40代後半のいま、あらゆる意味でキャリアのピークを迎えている。そのタイミングでこの4月、15年ぶりに新国立劇場に戻り、ドニゼッティ「ルチア」でエドガルドを歌うことになっている。実現を心から祈りたい。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。

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