- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

缶詰のパイナップルを模した「パインアメ」は、3月で発売70年を迎えた。子どもから大人まで親しまれる定番ながら、決してなめてはいけない情熱の結晶なのだ。製造するパイン(大阪市天王寺区)の歴史を、公式ツイッターでつぶやく担当者(通称「中の人」)のマッキーさんとたどった。
「鳴りません」がバズりまして
パインアメは1951年に生まれた。創業者の上田保夫さん(故人)が、米菓業を営む父親と「違う仕事がしたい」とアメの製造を開始。「お菓子に夢を」という思いを込め、高級だったパイナップル缶詰を、庶民に手の届くアメにすることを思いついた。さまざまな香料を混ぜてパイン缶の味を再現し、駄菓子屋で販売(1個1円)。しかし、当時は穴を開ける技術はなく、平たいアメに輪切りのパイナップルの模様を型押ししただけ。名称も「パイナップル飴(あめ)」だった。
他社との差別化のためにも、どうしてもパイナップルの「穴」まで再現したかった保夫さん。一つ一つ、割り箸でつついて開けていたというから恐れ入る。「けんしょう炎になったと伝え聞いています」とマッキーさん。穴を開ける設備を整えたのは、第1号発売から2年後の53年だった。
この記事は有料記事です。
残り1265文字(全文1763文字)