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パイン(大阪市天王寺区) あの穴にドラマ「パインアメ」 「庶民に夢を」ド根性で

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15万人のフォロワーを誇る「パイン」公式ツイッターの「中の人」マッキーさん=大阪市天王寺区で2021年3月3日午後2時2分、水津聡子撮影
15万人のフォロワーを誇る「パイン」公式ツイッターの「中の人」マッキーさん=大阪市天王寺区で2021年3月3日午後2時2分、水津聡子撮影

 缶詰のパイナップルを模した「パインアメ」は、3月で発売70年を迎えた。子どもから大人まで親しまれる定番ながら、決してなめてはいけない情熱の結晶なのだ。製造するパイン(大阪市天王寺区)の歴史を、公式ツイッターでつぶやく担当者(通称「中の人」)のマッキーさんとたどった。

「鳴りません」がバズりまして

 パインアメは1951年に生まれた。創業者の上田保夫さん(故人)が、米菓業を営む父親と「違う仕事がしたい」とアメの製造を開始。「お菓子に夢を」という思いを込め、高級だったパイナップル缶詰を、庶民に手の届くアメにすることを思いついた。さまざまな香料を混ぜてパイン缶の味を再現し、駄菓子屋で販売(1個1円)。しかし、当時は穴を開ける技術はなく、平たいアメに輪切りのパイナップルの模様を型押ししただけ。名称も「パイナップル飴(あめ)」だった。

 他社との差別化のためにも、どうしてもパイナップルの「穴」まで再現したかった保夫さん。一つ一つ、割り箸でつついて開けていたというから恐れ入る。「けんしょう炎になったと伝え聞いています」とマッキーさん。穴を開ける設備を整えたのは、第1号発売から2年後の53年だった。

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