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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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悲しむ誰一人、置いてけぼりにしない 大船渡の地元紙記者の決意

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2011年3月20日の東海新報の紙面。震災直後は生活情報を掲載しながらも、読者に希望を感じてもらおうと赤ちゃんの誕生など前向きな話題も多く掲載した=東海新報社提供
2011年3月20日の東海新報の紙面。震災直後は生活情報を掲載しながらも、読者に希望を感じてもらおうと赤ちゃんの誕生など前向きな話題も多く掲載した=東海新報社提供

 地元紙として「あの日」を伝える意味を、ずっと考え続けてきた。岩手県大船渡市の新聞社「東海新報社」の記者で、社長も務める鈴木英里(えり)さん(41)はこの10年間、東日本大震災で被災した地元の歩みを報じてきた。ふる里の人々にこの地で生きる「誇り」をもってほしいと、今日もペンを握る。

 同社は従業員37人の小さな新聞社だ。「気仙地域」と呼ばれる大船渡、陸前高田、住田の2市1町を配達エリアとし、日刊紙を発行している。現社屋は、1960年のチリ地震で旧社屋が津波に流された経験から、大船渡市大船渡町の高台に建つ。先代社長の鈴木さんの父が2020年1月に亡くなり、社長を継いだ。会社を経営しながら記者としても取材を続ける。

「塩を塗るようで」悲しみ書けず

 11年3月11日。激しい揺れの後、鈴木さんは「津波が来るぞ」という先輩社員の話を真に受けず、会社から、担当地区だった大船渡市三陸町の道の駅に向かった。最初にカメラに収めたのは、ひび割れた道路や店舗の崩れた商品棚。2日前の3月9日の地震では、津波はなかった。「今回も大丈夫だろう」と高をくくっていた。

 写真を撮り終えた直後、顔を真っ青にした高齢者たちが、軽トラックの…

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【東日本大震災】

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