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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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地震予測の舞台裏

夢破れた…看板下ろした気象庁 「東海地震」緊迫の40年 /6

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駿河湾での地震発生後、臨時会合に臨む地震防災対策強化地域判定会委員(右列)と横田崇さんら気象庁職員=東京・大手町の気象庁で2009年8月11日午前8時3分(代表撮影)
駿河湾での地震発生後、臨時会合に臨む地震防災対策強化地域判定会委員(右列)と横田崇さんら気象庁職員=東京・大手町の気象庁で2009年8月11日午前8時3分(代表撮影)

 東海地震を予知して国民に警戒を呼びかける国の体制が2017年に終了した。かつて地震予知を志して気象庁に入庁した幹部職員は「夢破れた」と語る一方、近年は「科学の身の丈に合っていない」との思いも抱いていた。「予知」の看板を下ろすまで、どんな心境の変化があったのか。そして地震学者が東海地震の発生可能性を検討した気象庁長官の諮問機関「判定会」では、どんな議論があったのか。

東海地震予知 どう閉じるかの10年

 「東海地震の予知体制をどう閉じていくか、という10年だった」。東日本大震災後、気象庁で地震予知情報課長や地震火山部長を歴任した土井恵治・気象庁気象研究所長は、大震災からの10年を総括する。

 「2、3日以内に大地震が発生する恐れがある」と宣言する「予知」の体制がとられたのは、東海地震だけだ。気象庁が東海地域に限って地震予知を始めた発端は1976年、東京大理学部の助手だった石橋克彦・神戸大名誉教授が提唱した「駿河湾地震説」だった。「東海地震説」として知られるようになるこの学説は、静岡県の駿河湾を震源とするプレート境界の巨大地震が切迫していると警告するもので、急速に広い支持を得た。

 78年、東海地震の予知を防災対策に生かすための「大規模地震対策特別措置法」(大震法)が成立。翌79年から「地震防災対策強化地域判定会」(判定会)が気象庁に置かれ、地震学者が月に1度集まり、東海地震の発生可能性を議論するようになった。前兆となる地殻変動を捉えようと、東海地域の地下に「ひずみ計」という機器も配備されていった。

 もしひずみ計のデータに異常が見られれば、判定会の意見を踏まえて気象庁長官が首相に地震予知情報を報告、首相が「警戒宣言」を発令する。警戒宣言が出れば住民が避難を始め、東海地域で鉄道やバスの運行は停止、金融機関なども営業を中止するという異例の計画が立てられた。

 土井さんが気象庁に入庁したのは、駿河湾地震説の公表から10年後の86年だった。京都大の大学院生時代、電磁気を用いた測地学の研究に打ち込み、気象庁の採用面接では「地震予知に関わる仕事をやりたいです」と主張した。

 「地震の規模に比例して前兆現象が出てくる」と唱えた地球電磁気学の大家、力武常次(りきたけつねじ)博士の著書に感化されていたという土井さん。「今振り返ると『楽観論』だけど、80年代は『予知はきっとできる』と思われていた」と時代背景を説明する。

示された非公開のシミュレーション

 土井さんら歴代の気象庁の担当者は、巨大地震を監視するプレッシャーと常に格闘していた。

 判定会の定例会は月に1回開かれるが、ひずみ計などに顕著な異常が現れた場合は臨時会を開くことになっている。79年に判定会が始まって以降、この臨時会が開かれたことが1回だけあった。09年8月11日早朝、駿河湾を震源として発生したマグニチュード(M)6・5の地震。静岡県で最大震度6弱を観測した。

 この時、気象庁の予知情報課長だった横田崇さんはひずみ計のデータ変動の報告を受け、東海地震がいよいよ発生するかもしれないと緊張した。「このまま、もしかして……」。すぐに、判定会会長の阿部勝征・東京大名誉教授(故人)に電話した。「ひずみ計が大きく変化しています。集まっていただいて、検討したいのですが」

 早朝の地震発生から3時間足らずで、5人の地震学者が集まった。判定会は非公開で行われるが、当時の議事録には緊迫したやりとりが残されている。…

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