「東海地震の予知」必要性を訴えた研究者は今、何を思うのか /7
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東日本大震災を契機に、約40年続いた東海地震の予知体制が終了した。国を挙げて予知に突き進むきっかけとなった学説を唱えた研究者は今、それでも「発表してよかったと思う」という。その「予知」終了後、新たに始まった「予測」情報とは、どういうものなのか。防災にどう生かそうとしているのか。
断らずに受け続けた取材
「今だから言えば、社会を動かそうと、はっきり自覚していました。だからそれは手応えがあった」
1976年5月。国土地理院を事務局に地震学者が集まる「地震予知連絡会」(予知連)で、17ページからなる手書きのリポートが配られた。筆者は当時、東京大理学部の助手だった石橋克彦・神戸大名誉教授。後に石橋さんが「アジビラ」と呼ぶこのリポートは、人口密集地に近い、静岡県の駿河湾を震源とする東海地震の発生が切迫していることを強く警告するものだった。
それまで東海地震は、御前崎より西の遠州灘の沖合を震源に発生すると考えられていたが、石橋さんは前々回の東海地震である安政東海地震(1854年)の記録を精査。駿河湾でも大きな地殻変動があり、震源域になっていたことを明らかにした。一方、前回の昭和東南海地震(1944年)で駿河湾は震源域から外れている。つまり、駿河湾は巨大地震を起こす力があるのに、江戸時代以来、長期間にわたって発生していない「地震空白域」で、巨大地震が切迫していることになる――。
石橋さんは社会に訴える必要があると考えた。「当時は専門家も駿河湾で地震は起こらない、と思っていた。だから研究も防災対策も、まったく空白域だった」。リポートでは駿河湾地域の観測充実や地震予知の実現の必要性を強調し、「直ちに実戦体制を整えるべき」だと強く訴えた。
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