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一昔前の文化人風の、史料の裏付けがある言説と「妄想」との切り分けが曖昧な文章を、マトモな専門家は警戒する。『日本国語大辞典』によれば、妄想とは「とらわれの心によって、真実でないものを真実であると、誤って意識すること。また、そのような迷った考え。邪念」「ありえないことを、みだりに想像すること。みだらな考えにふけること。また、そのような想像。空想。夢想。ぼうそう」だそうで、かなりネガティブ。また自分の専門とする分野以外への言及を控えるのも、研究者としての誠意と評価される。だが自戒のあまり、学問の面白さを伝えられないのでは本末転倒だろう。
専門とする古典文学の理解には、それが書かれた時代の人々の眼差(まなざ)し、世界観を疑似的にでも持つこと、つまり妄想する力を鍛え直すことだ、と考える著者は、そのとおり書名に『妄想古典教室』(木村朗子(さえこ)著・青土社・2200円)と「妄想」を冠する。そして、たとえば巫女(みこ)であり遊女でもある女がテーマなら、『大鏡』『今昔物語』『梁塵秘抄』などから語り起こし、絵巻「春日権現験記絵」に描かれた巫…
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