スポーツの今 復活を期す田村高 駅伝男子監督は体育科1期生

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1968年の全国高校駅伝出場校が記された壁掛けを手にする田村高陸上部の佐藤修一監督=福島県三春町の同校で2021年2月4日午後4時22分、上鵜瀬浄撮影 拡大
1968年の全国高校駅伝出場校が記された壁掛けを手にする田村高陸上部の佐藤修一監督=福島県三春町の同校で2021年2月4日午後4時22分、上鵜瀬浄撮影

 福島県郡山市から車で30分ほどの三春町にある県立田村高は陸上の強豪校だ。師走の風物詩、全国高校駅伝では女子が1998年の第10回大会で優勝し、男子は95年の第46回大会で2位に入った。近年は県内のライバル学法石川の勢いが上回るだけに、OBでもある男子の佐藤修一監督(44)は「打倒・学法石川」を掲げ、指導に当たっている。

 田村高は全国高校駅伝出場が男子22回、女子20回でともに県内最多を誇る。男子は63年に初出場し、94年からは11年連続出場して一時代を築いた。だが、2011年から学法石川に県代表の座を奪われている。

1998年の女子第10回全国高校駅伝で初優勝した田村のアンカー菅野勝子選手=京都市の西京極陸上競技場で、山田耕司撮影 拡大
1998年の女子第10回全国高校駅伝で初優勝した田村のアンカー菅野勝子選手=京都市の西京極陸上競技場で、山田耕司撮影

 佐藤監督は92年に新設された体育科1期生だ。県立校で唯一の体育科のため、全県から入学でき、95年の福島国体を前に「精鋭が集まった」という。94年の都大路の2区(3キロ)で区間2位と好走し、チームは初めて4位入賞を果たした。順天堂大を卒業後、母校に赴任し、指導者としても01年の全国高校駅伝4位入賞に貢献した。その後、いわき総合高で女子チームを3年連続で都大路に導いたほか、箱根駅伝5区で4年連続区間賞を獲得し、「2代目山の神」と呼ばれた柏原竜二さんを育てた。

 田村高に戻って21年度で10年目の佐藤監督は、走り込みに重点を置く指導を貫く。学校周辺は山あいで起伏が激しく、絶好の練習環境だ。1日24キロ走ることもあるといい、佐藤監督は「全国のトップが集まる学法石川と違い、個人レベルで戦える選手はいない。泥臭く全員で底上げしている」と説明する。

2010年の男子第61回全国高校駅伝で8位でフィニッシュする田村の佐川佑磨選手=京都市の西京極陸上競技場で、小関勉撮影 拡大
2010年の男子第61回全国高校駅伝で8位でフィニッシュする田村の佐川佑磨選手=京都市の西京極陸上競技場で、小関勉撮影

 9年ぶりに出場した19年の第70回記念大会は、東北代表として32位だった。当時を知る2人が新2、3年生約30人の部員を引っ張っている。1年生で2区を走った富岡晃世選手は「直前の緊張感と達成感、大勢の沿道のかけ声は、あの場でないと分からない。皆で戻りたい」と話す。補欠に回った横田星那選手は「走れなかった悔しさは今も忘れないが、全国の舞台を肌で知ることもできた。二つの思いを胸に、厳しい練習も前向きにとらえている」と言う。

練習に励む田村高陸上部員=福島県三春町の同校で2021年2月4日午後4時5分、上鵜瀬浄撮影 拡大
練習に励む田村高陸上部員=福島県三春町の同校で2021年2月4日午後4時5分、上鵜瀬浄撮影

 陸上部の伝統の重みを感じさせるのが、68年の全国高校駅伝の出場校を記した部室の壁掛けだ。半世紀以上経過し色あせ、「根性」の文字が並ぶ。駅伝の予選を終え、単調な練習が続く冬場に選手たちに見せて、チームの士気を高めているという。佐藤監督は「学法石川の壁を突破して、伝統を復活させます」と県代表復帰を誓っている。【上鵜瀬浄】

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