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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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息子が寝ていた場所を花いっぱいに 今も会えぬ家族を思う日々

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雅人ちゃんを預けていた実家跡で、植えた草花の手入れをする竹澤守雅さん(左)とさおりさん=宮城県名取市閖上で2021年3月14日午後1時22分、金森崇之撮影
雅人ちゃんを預けていた実家跡で、植えた草花の手入れをする竹澤守雅さん(左)とさおりさん=宮城県名取市閖上で2021年3月14日午後1時22分、金森崇之撮影

 東日本大震災から10年となった3月11日。「あの日」から会えない家族に届いてほしいと、宮城県名取市閖上で花火を打ち上げた夫婦がいる。今も行方不明の長男雅人ちゃん(当時8カ月)らを思い続ける竹澤守雅さん(53)と妻さおりさん(45)=仙台市若林区。津波で流れたさおりさんの実家跡で、雅人ちゃんのベビーベッドがあった場所を花壇などにし、今夏にはいっぱいの花を咲かせたいと願う。

いつも通りの朝

 2011年3月11日、仙台市内のアパートで暮らしていた守雅さんは、就寝中のさおりさんと雅人ちゃんに「行ってきます」と心の中で声をかけ玄関を出た。起床したさおりさんも出勤し、雅人ちゃんは迎えに来たさおりさんの母大友すみ子さん(当時61歳)と車で約10分の閖上にあるさおりさんの実家に向かった。

 巨大な揺れが襲った午後2時46分、夫婦はまだ仙台市内でそれぞれ仕事中だった。揺れの直後、さおりさんの携帯には「雅人は大丈夫、さおりは」というメールがすみ子さんから届いていた。その後、連絡は取れなくなったが、夫婦は「逃げているはず」と自分たちに言い聞かせ、避難所を回った。

 震災発生から2日後、ようやく道路の通行が可能となった閖上に向かって車を走らせると、風景は一変した。崩れた家、潰れた車、折れた電柱――。守雅さんは黙り込み、さおりさんは泣き叫びながら「この世の終わりのような風景」の中を進んだ。実家があった場所は建物の基礎以外ほとんど残っていなかった。「絶望ってこういうことを言うんだ」。さおりさんは涙が止まらなかった。

捜し続けた日々

 「雅人 まさと 生後8カ月 身長70センチメートルぐらい 体重9キロぐらい ご存じの方、連絡いただけないでしょうか」。2人は雅人ちゃんの笑顔の写真を載せたポスターを作り、避難所などに張って情報を求めた。

 震災から約1週間後、…

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