古賀稔彦さん、がんで闘病 「必ず元気になるけん」願い届かず

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環太平洋大・女子柔道部の古賀稔彦総監督=岡山市の環太平洋大で2012年10月、田原和宏撮影
環太平洋大・女子柔道部の古賀稔彦総監督=岡山市の環太平洋大で2012年10月、田原和宏撮影

 柔道五輪金メダリストで「平成の三四郎」の異名を取った古賀稔彦(こが・としひこ)さんが24日、53歳で亡くなった。がんで闘病中だった。大けがを乗り越えて金メダルを獲得した1992年バルセロナ五輪男子71キロ級で金メダルを獲得したことから「もう一度、奇跡を起こして」と回復を祈っていた関係者に悲しみが広がった。

 バルセロナ五輪での激闘は柔道界の語り草だ。古賀さんは現地入り後の練習で左ひざをひねった。同五輪で柔道日本男子監督だった上村春樹・講道館館長(70)によると、柔道着を着られず、全く畳に立てず、トレーニングもできず、ベッドで寝たきりで脚を冷やしていたという。出場が危ぶまれたが、試合までの約10日間、ほとんど絶食して約4キロ減量して計量をクリア。競技当日は、患部に痛み止めの注射を打ちながら出場し、決勝…

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