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第103回全国高校野球選手権

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後輩の体調、常に目配り 鳥取城北・大林コーチ 選抜高校野球

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坂道を駆け上がるトレーニングで、計測したタイムを投手陣に伝える大林仁コーチ(右端)=鳥取市国府町三代寺で2020年12月23日、野原寛史撮影 拡大
坂道を駆け上がるトレーニングで、計測したタイムを投手陣に伝える大林仁コーチ(右端)=鳥取市国府町三代寺で2020年12月23日、野原寛史撮影

 第93回選抜高校野球大会第7日の26日、2回戦に臨む鳥取城北。20日の1回戦でセンバツ初勝利を挙げたチームの投手育成を任されている大林仁コーチ(36)は、2002年に同校のエースとして甲子園を目指しながらも自身の体調不良で果たせず、社会人野球でも故障に苦しんだ。「けがをしたからこそ今の自分があるが、生徒たちにはけがをさせたくない」と誓い、エースだけに依存せず体のケアを重視した指導で、全国の頂点を目指している。

 鳥取県琴浦町出身。中学時代から注目された左腕だったが、肘の靱帯(じんたい)損傷と遊離軟骨除去で2度も手術を受けた。それでも「だまされたと思ってうちに来い」と誘ってくれた鳥取城北で野球を続け、懸命なリハビリでマウンドに戻った。甲子園初出場が有力視された3年夏は140キロ台の速球を武器に県随一の投手とも評され、1回戦でノーヒット・ノーラン(七回参考)を達成した。

試合中に突然めまい

 しかし、2回戦は六回、突然めまいがしてマウンドにうずくまった。熱中症とみられ、降板を余儀なくされた。右翼手に守備位置を変えてプレーは続行できたが、1点リードで迎えた九回裏1死一、二塁のピンチで、自身が守る右翼に打球が上がった。平凡なフライだったが体調不良の影響か、「足が一歩も動かなかった」。中堅手がカバーに走ったが、2者が還りまさかのサヨナラ負け。「それまでの勝った試合を忘れ、その後も夢に見るほど悔やんだ」

試合形式の練習に登板した投手を指導する大林仁コーチ(左)=鳥取市国府町三代寺で2021年2月21日、野原寛史撮影 拡大
試合形式の練習に登板した投手を指導する大林仁コーチ(左)=鳥取市国府町三代寺で2021年2月21日、野原寛史撮影

 卒業後は社会人野球の日立製作所に進み、1年目の03年から日本選手権8強進出に貢献。その後もJABA北海道、九州大会で最優秀選手賞を獲得するなど活躍したが、肩のけがで球速は130キロ台に低下。都市対抗野球本大会の登板は06年に補強で起用された1試合のみにとどまり、7年で退部した。地元に戻り三洋電機鳥取(12年からパナソニック鳥取)のエースとして11、12年の全日本軟式野球大会の連覇に貢献した後、山木博之監督(45)に「投手を見てほしい」と請われて13年に再び母校のユニホームに袖を通した。

選手説得、治療に専念させ

 練習では自らミットを持って球を受けることもあり、常に投手の体調に目を配る。2学年で部員70人を超える同校では激しいレギュラー争いから選手たちが痛みを言い出せないまま練習を続ける恐れもあるため、わずかな異変も見逃さず「今は治すべき時か、我慢すべき時か」を話し合う。過去には2年秋に肘の痛みを抱えた投手を説得し、一冬投げさせずに治療とトレーニングに専念させ、翌年夏の甲子園で好投させたこともあった。現在も投手陣はブルペンに入らず全力投球しない日や、基礎トレーニングのみの日を設けている。普段の指導は厳しいが、すべては選手生命に関わるけがをさせず「投げることを楽しみ、城北でやってきて良かったと思って卒業してほしい」と願うからだ。

 そんな大林コーチを慕う選手は多い。沖縄県から進学し、今大会ベンチ入りした山内龍亜(りゅうあ)投手(3年)もその一人で「大林さんと出会ったから今がある。成長した姿をマウンドで見せたい」と意気込む。

 近年は3人程度で大会を分担・継投する育成方針を山木監督とともに確立させた。今大会で導入された「1週間500球」の球数制限も「将来ある投手を守る取り組みは良いことだと思う」と肯定的だ。自身も目指した甲子園は「今も特別で、生徒に経験させてやりたい場所」。26日の東海大相模(神奈川)戦も、同校初の甲子園2勝を目指す選手たちをスタンドから見守る。【野原寛史】

全31試合を動画中継

 公式サイト「センバツLIVE!」では、大会期間中、全31試合を中継します(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2021)。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/senbatsu/)でも展開します。

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