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音楽の窓から世の中を眺めて

ジャーナリスト、江川紹子さんの音楽コラム。クラシックナビ連載。

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要にして急

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昨年は「神々の黄昏」を無観客で上演し、世間の耳目を集めたびわ湖ホールプロデュースオペラ。今年は「ローエングリン」が上演された=提供:びわ湖ホール
昨年は「神々の黄昏」を無観客で上演し、世間の耳目を集めたびわ湖ホールプロデュースオペラ。今年は「ローエングリン」が上演された=提供:びわ湖ホール

江川紹子

 客席に響く大きな拍手はなかなか鳴りやまなかった。客は、感染防止対策として「ブラボー」などの発声を禁じられている分、その手には力がこもり、最後はスタンディングオベーションに。3月6、7日に行われたびわ湖ホールのプロデュースオペラ「ローエングリン」両公演、終演後のカーテンコールでの光景である。

 私自身も、スタンディングオベーションに加わりながら、思い切り拍手ができる喜びと、いまだ拍手しかできない消化不良感の両方を味わっていた。

 ちょうど1年前、ここでは4年がかりの「びわ湖リング」を完結させる「神々の黄昏」が上演された。ただ、新型コロナウイルスの感染防止のためとして政府がイベントの自粛を要請したため、やむなく無観客での上演に。それは無料でライブストリーミング配信された。これは大きな話題となり、2日間でなんとのべ41万を超えるアクセスがあり、「ステイホーム」を強いられている人々に極上のオペラを届けた。

 この時、私は取材陣の1人として、ホール内で上演に立ち会っていた。1階と2階の客席は、ネット中継に当たるスタッフ以外は無人。地元テレビ局のカメラのほか、音楽ジャーナリストなど数十人が3階席で上演を見守った。

 演奏が始まる前、山中隆館長は無観客上演を行うまでの経緯を説明した後、私たちにこう注意をした。

 「演奏が終わっても、拍手もブラボーなどの声も挙げないでください」

 それは感染対策として、ではない。チケットを購入して楽しみにしていたのに、劇場に足を運ぶことができなかったお客たちへの配慮だった。

 この時のパフォーマンスがどれだけ素晴らしかったかは、ライブ中継やその後発売されたBlu-rayディスクを鑑賞した人には説明する必要がないだろう。

 終演後、舞台上では静かな静かなカーテンコールが行われた。出演者たちが移動する音だけが聞こえ、あとは無音。その時間が、私には本当に苦痛だった。思い切り拍手をしたいのに、それができない。ブラボーの声も挙げられない。

 オペラ観劇というのは、音楽を聴き、出演者の演技や舞台美術を見て楽しむだけではなく、それによって自分の中に湧き上がる思いを、拍手やかけ声によって表現することで、初めて完結するのだと思い知らされた。

 この「神々の黄昏」を最後に、オペラだけでなく、器楽演奏も含めて、生の音楽に触れる機会がなくなった。「不要不急」の外出は避けよ、との呼びかけが繰り返し流された。

 音楽は、オペラなどの芸術活動は、社会の中では「不要不急」なのか。この間、芸術を生業(なりわい)にしておられる方々は、本当に悩まれたと思う。その何万分の1にもならないと思うけれど、ただ音楽を聞くのが好き、オペラを見るのが大好きというだけの私も、「不要不急」のかけ声を聞くたびに、追い詰められるような気持ちに陥った。

 この時期に思い起こしたのは、以前オペラ演出家の栗山昌良さんへのインタビューで伺った話だ。

 戦争末期、本土にも米軍機が繰り返し飛来し、空爆を受けた。そんな中でも、演奏会は開かれた。ドイツやイタリアの音楽は、公演を許されていた、という。ただ、空襲警報が鳴ると、そこで演奏は終わり。そうなると、電車も停まるため、観客はホールから歩いて帰宅しなければならなかった。

 そんなある時、ヴァイオリニストの巌本真理さんのリサイタルがあり、栗山さんは日比谷公会堂へ。ところが、開演時刻になっても巌本さんは現れない。巌本さんがいた九段に空襲があったそうで、交通機関も停まり、来られない、という情報が伝わってきた。それを追いかけるように、巌本さんが歩いて向かっているという話も伝わってきて、聴衆は帰らずに待っていた。

 しばらくすると、びしょぬれの巌本さんが、ヴァイオリンケースひとつ持って舞台に現れた。伴奏のピアニストは、いない。それでも巌本さんは調弦をして、1人で「チゴイネルワイゼン」を弾き始めた。

 「その演奏は、今も忘れられない」と栗山さんは語っていた。

 お話を伺った時に感じたのは、「そんな思いまでして、音楽を聞きに行く人がいたのか」という驚きだった。

 ただ、コロナの正体が分からないまま、不安な日々を送っていた時期には、当時の人たちの思いが、ほんの少し分かってきたような気がした。

 演奏者や歌い手が生む音楽が、空気を伝わって、聞き手に伝わる。聞き手はそれによって生じた思いを拍手や歓声(時にはブーという不満の声)の形で返す。そんなコミュニケーションが生の芸術活動に触れる醍醐味(だいごみ)で、それは同じ時を同じ空間で過ごした者同士の命のふれあいでもある。栗山さんたちは、万感の思いを込めて、巌本さんに拍手を送ったに違いない。

 そしてコロナ禍が続く現代の私たち。命の不安の中にいた時期に、生の音楽に接する機会を失い、音楽が自分にとってどれほど大事なものなのかを思い知った。文化芸術は、人が人間であることを実感するために必要で、いわば人間性の証明のようなものではないだろうか。

 最初の緊急事態宣言が明けて数カ月した頃から、オペラ界もそろりそろりと動き始めた。私にとっての再開後最初のオペラ観劇は、9月に行われた、東京二期会の「フィデリオ」だった。生のオペラを味わい、決して大げさではなく、「生き延びてよかった」と思った。

 とはいえ、どの公演もウイルスには最大限の警戒をしているので、オーケストラが小編成となったり、恋人同士の役でも歌手が距離を取って歌ったり、本来の形での上演とはちょっと異なる。私たち観客も、拍手はできるが、ブラボーなどの発声は禁止。加えて、緊急事態制限で飲食店の時間制限があり、会食は控えたい意識も働くので、観劇後に友人とワインを飲み交わし、公演について言いたい放題で盛り上がる、ということもできない。そもそも、よくオペラを見にやってきていた友だちは、仕事柄、感染が多い東京には来られなくなってしまった。

 文化芸術との関わりは、社会のありようによって、かくも影響されることを、つくづく感じさせられたコロナ禍。ワインやおしゃべりを含めて、オペラ観劇が完結するようになるには、まだ時間がかかりそうだ。でも、一度失ったからこそ知った、音楽に触れる機会の貴重さと喜びを感じながら、ひとつひとつの公演を、大事に大事に味わっていきたいと思う。

筆者プロフィル

 江川 紹子(えがわ しょうこ) 1958年生まれ。神奈川新聞記者を経てフリー。95年、オウム報道で菊池寛賞。現在、神奈川大学国際日本学部特任教授を務める。著書に「オウム事件はなぜ起きたか」「名張毒ブドウ酒殺人事件」「『歴史認識』とは何か——対立の構図を超えて」(大沼保昭氏と共著)など。

ツイッター@amneris84

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