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第94回センバツ高校野球

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センバツ2021 選手ケアする指導貫く けがに泣いた経験生かす 鳥取城北・大林コーチ /鳥取

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実戦形式の練習の合間に、山内投手(右)を指導する大林コーチ=鳥取市国府町三代寺で、野原寛史撮影 拡大
実戦形式の練習の合間に、山内投手(右)を指導する大林コーチ=鳥取市国府町三代寺で、野原寛史撮影

 第93回選抜高校野球大会で学校初勝利を挙げ、26日の2回戦では優勝候補の東海大相模(神奈川)と紙一重の接戦を繰り広げて敗れた鳥取城北。チームの投手育成を任されている大林仁コーチ(36)は、2002年に同校のエースとして甲子園を目指しながらも自身の体調不良で果たせず、社会人野球でも故障に苦しんだ。「けがをしたからこそ今の自分があるが、生徒たちにはけがをさせたくない」と誓い、エースだけに依存せず体のケアを重視した指導で、全国の頂点を目指している。【野原寛史】

 琴浦町出身で中学時代から注目された左腕だったが、肘の靱帯(じんたい)損傷と遊離軟骨除去で2度も手術を受けた。それでも鳥取城北で野球を続け、懸命なリハビリでマウンドに戻った。甲子園初出場が有力視された3年夏は140キロ台の速球を武器に県随一の投手とも評され、1回戦でノーヒット・ノーラン(七回参考)を達成した。

 しかし、2回戦は六回、突然めまいがしてマウンドにうずくまった。熱中症とみられ、降板を余儀なくされた。右翼手に守備位置を変えてプレーは続行できたが、1点リードで迎えた九回裏1死一、二塁、自身が守る右翼に打球が上がった。平凡なフライだったが体調不良の影響か、「足が一歩も動かなかった」。2者が還りまさかのサヨナラ負け。「それまでの勝った試合を忘れ、その後も夢に見るほど悔やんだ」

 卒業後は社会人野球の日立製作所に進み、1年目に日本選手権8強進出に貢献。JABA北海道、九州大会で最優秀選手賞を獲得するなど活躍したが、その後は肩のけがで球速が130キロ台に低下した。都市対抗野球本大会の登板は1試合にとどまり、7年で退部。地元に戻り三洋電機鳥取(12年からパナソニック鳥取)のエースとして11、12年の全日本軟式野球大会の連覇に貢献した後、山木博之監督(45)に請われて13年に再び母校のユニホームに袖を通した。

 練習では自らミットを持って球を受けることもあり、常に投手の体調に目を配る。部員70人を超す同校では激しい競争から選手が痛みを言い出せないまま練習を続ける恐れもあるため、わずかな異変も見逃さず「今は治すべき時か、我慢すべき時か」を話し合う。過去には2年秋に肘の痛みを抱えた投手を説得し、一冬を治療とトレーニングに専念させ、翌年夏の甲子園で好投させたこともあった。現在も投手陣はブルペンに入らず全力投球しない日や、基礎トレーニングのみの日を設ける。指導は厳しいが、すべては選手生命に関わるけがをさせず「投げることを楽しみ、城北でやってきて良かったと思って卒業してほしい」と願うからだ。

 そんな大林コーチを慕う選手は多い。「大林さんと出会ったから今がある。成長した姿をマウンドで見せたい」と意気込んでいた山内龍亜(りゅうあ)投手(3年)は大舞台の2回戦で先発に抜てきされ、9回途中1失点と見事な結果を出した。

 「(今センバツに)登板した広田(周佑(しゅうすけ))も山内も、冬に磨いてきた制球力を発揮してくれた。他の投手も含め、夏に向け球威や制球をさらに伸ばしていきたい」と話す大林コーチ。センバツで届かなかった「甲子園2勝」とその先へ、選手たちとともに再スタートを切る。

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