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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

人知れず建つ碑や地名などをよすがに、今につながる大阪の知られざる歴史を掘り起こします。

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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

/550 東高野街道/46 /大阪

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俊徳丸の墓と伝わる古墳。石室の前には歌舞伎役者が寄進したちょうず鉢などがある=八尾市大字服部川で2021年1月6日、松井宏員撮影
俊徳丸の墓と伝わる古墳。石室の前には歌舞伎役者が寄進したちょうず鉢などがある=八尾市大字服部川で2021年1月6日、松井宏員撮影

 ◆八尾市

古墳に役者寄進の灯籠

 十三(じゅうさん)街道を降りる。下りは下りで、膝に負担がかかるのでつらい。20分ばかりで車道に到達し、さらに街道を下る。ずっと大阪平野が眼前に広がっている。昔の旅人は、この絶景を目にして、「ああ、大坂だ」と安堵(あんど)したのだろう。

 四つ辻(つじ)に「右大坂道 左信貴山」と刻まれた道標が建っている。大竹観音堂から南へ歩く。八尾市立歴史民俗資料館の小谷利明館長によると、この道は生駒断層のふもとの道だという。「斜面が落ちると道になりますので」というのが、「八尾高安山史跡散策マップ」を見るとよくわかる。断層に沿って、神社や古墳が集中している。西には河内湾が迫っていたので、水害を避けて水辺より高い所に集落をつくったことが読み取れる。

 一つ西の道に出ると、歴史民俗資料館がある。その南の道を入ると、祭りの太鼓台格納庫のある広場を見付けた。「式内御祖(みおや)神社址(あと)」の石碑が一つ。古い神社の跡だ。広場の奥のトイレの前に、台座に「おかげ」と彫られた1831(天保2)年の石灯籠(とうろう)がある。江戸時代、ほぼ60年ごとに伊勢参りが大流行し、「おかげ参り」と称された。おかげ参りに参加した講の人々によって建てられたのが、おかげ灯…

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