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戦艦「大和」沈没から76年 無謀な「水上特攻」の真相 /前編

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航行する戦艦「大和」=高知県宿毛沖で1941年10月20日撮影
航行する戦艦「大和」=高知県宿毛沖で1941年10月20日撮影

 1945年4月7日。ちょうど76年前のきょう、当時「世界最大・最強」といわれた戦艦「大和」が米軍機によって沈められた。「大和」は、沖縄に上陸した米軍を撃退すべく、「水上特攻部隊」として出撃。しかし乗員3332人のうち、生還したのは276人のみという悲惨な結末を迎えた。私は「大和」の取材を20年近く続けている。昨年の4月7日、弊紙ニュースサイトに「戦艦『大和』沈没から75年 元乗員の人生を戦後も左右した『不沈艦』」を掲載した。今回は、大和の沖縄水上特攻作戦の真相を2回にわたって振り返る。前編のテーマは「無謀な水上特攻作戦はなぜ行われたのか」だ。【栗原俊雄】

時代遅れの「世界最強」

 「大和」は41年12月16日に完成した。日米開戦から8日後のことだ。全長263メートル、全幅38.9メートルで、基準排水量は6万5000トン。総工費1億3780万円は当時の国家予算の6%に当たる。現代で言えば6兆円の巨額である。

 国家の威信をかけた「世界最大」の戦艦であった。戦艦の存在価値である主砲は9門あり、約1.5トンの砲弾を発射できた。しかも最大射程は42キロ。同時代の他のどの国の戦艦より主砲が大きく、射程が長かった。また、戦艦や空母など、複数の艦隊からなる連合艦隊の旗艦も務めた。

 「大和」が誕生した背景にあったのが、日露戦争での日本海海戦のように主力艦同士が砲撃によって勝敗を決するという戦術思想だった。敵艦の砲弾が届かない位置から、…

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