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沖縄、台湾をつむぐ

琉球王に仕えた名家・川平家。琉球処分から日本統治下の台湾、戦後の沖縄へ。激動の時代をたどり、沖縄と台湾を見つめます。

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台中で霧社事件鎮圧の兵器輸送を目撃 四男、朝清さん誕生

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台中市を流れる緑川。近年、再び市民の憩いの場として人気を集めている=台中市政府提供
台中市を流れる緑川。近年、再び市民の憩いの場として人気を集めている=台中市政府提供

 1925年に台湾・台中市で暮らし始めた川平(かびら)家。長男・朝申(ちょうしん)さんは「台湾新聞」で学芸欄担当の記者になり、那覇で働いていた次男・朝甫(ちょうほ)さんも一足遅れで台中に移り、台中師範学校に入った。三男・朝宜(ちょうぎ)さんは台中商業学校に通った。

 27年8月30日、末っ子の四男、朝清(ちょうせい)さん(93)が生まれた。一家が暮らしたのは台中市明治町7丁目4番地(当時)。日本様式の木造平屋建ての長屋で、6畳2間と4畳半が2間ぐらいの広さだった。姉2人が幼くして亡くなっていたので、そこに両親と子ども5人の計7人が暮らした。

 父・朝平(ちょうへい)さんが沖縄の伝統弦楽器の三線(さんしん)を弾き、朝申さんが油絵を描いた。朝甫さんは学校で学んでいたバイオリンを練習し、朝宜さんがポータブル蓄音機で流行歌やクラシック音楽を流した。朝清さんは「貧しいながらも文化的な情緒感あふれるにぎやかな家でしたね」と懐かしむ。

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