沖縄戦「航空部隊だけなのか」と御下問 大和「特攻」軍そんたく 出撃、沈没から76年

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爆発し沈む戦艦「大和」=1945年4月7日撮影
爆発し沈む戦艦「大和」=1945年4月7日撮影

 76年前の1945年4月7日、戦艦「大和」が米軍機に撃沈された。沖縄に上陸した米軍を撃退すべく水上特攻部隊として出撃、乗員3332人のうち生還したのは276人のみ。海軍内部でも反対意見が強かった無謀な特攻作戦は、なぜ行われたのか。近年の研究成果などからひもとく。【栗原俊雄】

 「大和」は41年12月16日に完成した。全長263メートル、全幅38・9メートル。基準排水量6万5000トン。当時「世界最大」の戦艦だった。戦艦の存在価値である主砲は9門あり、約1・5トンの砲弾を放つことができた。最大射程は42キロ。同時代の他のどの国の戦艦より主砲が大きく、射程が長かった。「世界最強」とも言われたが、航空機の性能が急速に向上したことから、戦艦の存在価値は低下。「大和」の戦果はほとんどないまま大戦末期を迎えていた。また、燃料を膨大に必要とすることから、「お荷物」の存在になりつつあった。航空機による特攻は既に始まっていたため、海軍には「水上部隊は何をしているのか」という雰囲気が広まっていた。

 そうした中、連合艦隊は「大和」など10隻に沖縄特攻を命じた。

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