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世界各国・地域には独自の文化がある。駐日大使や公使らは自国のどの「一品」にこだわりを持っているのか。その魅力を紹介する。

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人類が初めて宇宙を旅した日 ロシア大使が誇りに思う出来事

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地上に帰ってきたガガーリン=1961年4月12日
地上に帰ってきたガガーリン=1961年4月12日

 ソ連の宇宙飛行士、ユーリー・ガガーリンが1961年に人類で初めて宇宙の有人飛行に成功してから12日で60年を迎えた。ソ連時代からロシアではガガーリンの偉業をたたえて、毎年4月12日を「宇宙飛行士の日」として祝っている。ミハイル・ガルージン露駐日大使(60)を訪ねると、宇宙、そしてガガーリンへの熱い思いがあふれ出た。

 当時のロシア共和国西部スモレンスクに生まれたガガーリンは、少年時代から空を飛ぶことに憧れ、空軍のパイロットから宇宙飛行士に選ばれた。61年4月、搭乗した宇宙船「ボストーク1号」はバイコヌール基地(現カザフスタン)から打ち上げられ、大気圏外を一周して地球に帰還。「空はとてもとても暗く、地球は青みを帯びていた」。ガガーリンが口にした言葉は広く知られている。

 前年に生まれたガルージン氏は、両親からこのときの様子を聞かされてきた。ラジオで有人飛行に成功したニュースを聞くと、多くの人々は戸外に出て、喜びを分かち合った。モスクワ中心部の「赤の広場」も多くの人で埋められたという。

 有人飛行の成功はソ連の若者に宇宙への夢を抱かせた。「将軍になりたくない兵士は悪い兵士だ」。ガルージン氏はこのような言い回しを紹介した上で「宇宙飛行士になりたいと思わない青年は、あの当時のソ連にはいなかっただろう」と振り返る。ガガーリンの飛行はソ連の科学技術の高さを証明し、「今でもロシア国民が最も誇れる出来事だ」と胸を張る。

 有人飛行に成功したガガーリンは翌62年5月、記念の世界ツアーに出かけて、日本にも9日間滞在した。早稲田大で講演したほかにも、大阪や京都、札幌などに足を運び、各地で歓迎された。ソ連と日本が第二次大戦から続いた戦争状態を終わらせたのは、わずか6年前だった。なぜガガーリンの訪問先に日本も選ばれたのか? 「ソ連にとって隣国だし、すでに当時の日本の経済成長は世界に知られていたからだ」と、ガルージン氏は語る。

 英雄となったガガーリンだが、68年に戦闘機の訓練飛行中にトラブルが起こり、34歳の若さで亡くなった。

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