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池上彰のこれ聞いていいですか?

WHO責任者が見た中国の「すごさ」と日本の力

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 ジャーナリストの池上彰さんが各界で活躍する人と対談するシリーズが始まった。初回は、新型コロナウイルスの感染対策に各国と連携し取り組む世界保健機関(WHO)で、責任者として提言をまとめる進藤奈邦子さん。各国の対策をどう見ているのか。ジュネーブ在住の進藤さんを、池上さんがオンラインで直撃した。

人生を変えた弟の死 そしてセクハラ

 池上 医学を志したのは、弟さんの病気がきっかけだそうですね。

 進藤 弟は15歳の時に、脳腫瘍で亡くなりました。

 私は昔から大きな建物から感動やエネルギーをもらっていて、建築家にあこがれました。高校生のとき、米国に建築家になるためのいい教育プログラムがあるのを見つけ、留学しました。進学する大学が決まったころ、弟の余命もあと半年ということで、帰国しました。弟の看病をしながら、日本の大学の受験勉強をしていました。

 ある日、弟がこんな話をしてくれました。

 死が怖くなって眠れない時、医師が「検査も治療も頑張ったから、明日はきっとよくなるよ」と言ってくれたお陰で、眠れるようになったと。そして、弟が死期を悟った時、お姉ちゃんに、僕の代わりに僕みたいな病気の人に「明日はよくなるよ」と言ってあげてほしいんだ。

 当時の私には、医者とは聖職で、煩悩の塊みたいな自分には無理だと思っていました。でも、弟が亡くなり、自分の中で弟の言葉がどんどん重くなっていきました。挑戦しないと後悔すると思い、浪人して医学部を受験しました。

 池上 それで医師になったのですね。

 進藤 14年間、臨床現場で働きました。最初に入ったのは脳外科ですが、当時は「なぜ、外科に女が」という雰囲気が強く、重労働です。週1~2回しか家に帰れない、3~4時間以上続けて眠れないという生活でした。それでも、私をちゃんと見てくれる看護師さんらに支えられ、なんとか2年間続けました。

 しかし、疲労が限界を迎えたときに深刻なセクハラに遭い、心が完全に折れました。外科医になる目的であった弟を思い出しても踏ん張れる状況になく、以前から声をかけていただいた感染症の研究室に入りました。

 脳外科に限界を感じたこともあります。ある時、大工の患者さんを担当し、複雑な手術に成功しました。家族に感謝され、勝利だと思いました。しかし、…

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