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沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還合意から12日で四半世紀がたった。太平洋戦争末期の沖縄戦時、住民が暮らしていた土地に米軍が建設した飛行場は今も返されず、フェンスの中には沖縄独特の「亀甲墓(かめこうばか)」が残る。近くの宜野湾市野嵩(のだけ)で暮らす電気工事業、大川千尋さん(66)は11日、米軍から立ち入りの許可を受け、今年も年1回だけの墓参を済ませた。「25年もたったのか……。返ってきてほしいが、期待を裏切られ続け、半分あきらめている」
先祖崇拝の文化が根強い沖縄では旧暦の3月、墓前に親族が集まり、ごちそうを食べて先祖を供養するシーミー(清明祭)という風習がある。米軍基地内の亀甲墓はこのシーミーの時期に年に1日だけ墓参が許される。普天間飛行場は11日に立ち入りが許可され、353人が事前に申請した。
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