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熊本地震

2016年4月14日と16日に発生した熊本地震。最大震度7の激震に2度襲われ、熊本、大分両県で関連死を含めて275人が亡くなった。

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家屋倒壊で死亡した「娘のそばに」 85歳、南阿蘇で孫と再出発

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熊本地震の犠牲になった高田一美さんの遺影を見つめる母の郷テルミさん=熊本県南阿蘇村で2021年3月31日午後4時10分、城島勇人撮影 拡大
熊本地震の犠牲になった高田一美さんの遺影を見つめる母の郷テルミさん=熊本県南阿蘇村で2021年3月31日午後4時10分、城島勇人撮影

 2016年4月の熊本地震で大規模な土砂崩れが多発した熊本県南阿蘇村立野(たての)地区は、全住民が一時地区外に退避することを余儀なくされた。あれから5年。郷テルミさん(85)は立野に戻り、倉庫を改修して1人暮らしをしている。近所に住み、地震で亡くなった長女の高田一美(いちみ)さん(当時62歳)を供養するためだ。「一美のそばで暮らしたい」。住民が少なくなった集落で、静かに冥福を祈り続ける。

 一美さんは生前、1人暮らしの郷さんを心配し、買い物や庭の手入れなどを手伝っていた。障害者支援施設で働き、口癖のように「私が面倒を見るから大丈夫」と言ってくれる娘に郷さんも頼り切っていた。しかし、南阿蘇村が震度6強の激しい揺れに見舞われた4月16日未明の本震で一美さん宅は倒壊。一美さんは天井やたんすの下敷きになり、帰らぬ人となった。

 立野地区では地震により大規模な土砂崩れが多発し、阿蘇大橋が崩落。国道は土砂に埋まり、上水道も壊れて生活用水が得られなくなった。被災者生活再建支援法に基づき地区の全360世帯が長期避難世帯に認定されたため、郷さんは約10キロ離れた同県大津町の仮設住宅に移った。

 その後、インフラ復旧に伴い立野地区で暮らせるようになったが、避難先で生活を再建した若い世帯などは戻らず、地震前に約900人いた住民は4割減り550人になった。集落は空き地が目立ち、営業する商店も数軒になった。

 郷さんも村内の災害公営住宅への入居を考えたが、「住み慣れた場所だし、一美との思い出が詰まっている」と考え、19年5月、1人で地区に戻った。全壊認定を受けた自宅は解体し、隣接する敷地内の倉庫を改装して一間に台所と寝られる場所を作った。「私がけがせんように見守ってね」。毎朝、優しくほほ笑む一美さんの遺影に語りかけ、畑仕事に精を出す。

母一美さんが亡くなった自宅跡地で手を合わせる高田尚子さん=熊本県南阿蘇村で2021年3月28日午後5時35分、城島勇人撮影 拡大
母一美さんが亡くなった自宅跡地で手を合わせる高田尚子さん=熊本県南阿蘇村で2021年3月28日午後5時35分、城島勇人撮影

 亡くなった一美さんに代わっていま、1人暮らしの郷さんを支えているのが、一美さんの三女、尚子さん(35)だ。地震後しばらく暮らした大津町のみなし仮設住宅(民間賃貸住宅)を出た後、勤務先に近い同町のアパートに住みながら、車で郷さん宅に通い、食品や生活必需品を届けている。

 一美さんと同居していた尚子さんは、あの日、母娘2人でこたつに入っていた。尚子さんも下敷きになったが、かろうじてできた隙間(すきま)のおかげで助かった。だが、尚子さんが「お母さん」と呼び掛けても返事はなかった。まっ暗闇の中、こたつの中で触れた母の足は冷たくなっていった。

 「どうして私だけが助かったのだろう」。尚子さんは更地になった立野地区の自宅跡地を通りかかるたびに、一美さんを思い出す。休みの日も一緒に映画や買い物に出かける仲のいい親子だった。1年ほど自分を責める日々が続いたが、立ち直るきっかけをくれたのは「あんたのせいじゃないよ」と言って寄り添ってくれた祖母の郷さんら親族だった。尚子さんは徐々に落ち着きを取り戻し、仕事にも復帰できた。

 今でも悲しみは消えないが「お母さんが助けてくれた命なんだから」と懸命に前を向く。郷さんと同様、一美さんの遺影に毎日「行ってきます」「ただいま」と声をかけるのを欠かさない。14日に開かれる県主催の犠牲者追悼式には郷さんと参列する。「笑顔で頑張っているから安心してね」。2人で天国の一美さんにそう伝えるつもりだ。【城島勇人】

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