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熊本地震

2016年4月14日と16日に発生した熊本地震。最大震度7の激震に2度襲われ、熊本、大分両県で関連死を含めて275人が亡くなった。

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出産の56分後、病院を襲った本震 必死に守った娘はもう5歳

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父児郎さんが見守る中、母あずささんに話し掛ける飯田京華ちゃん(中央)=熊本市中央区で2021年2月28日午後3時5分、栗栖由喜撮影
父児郎さんが見守る中、母あずささんに話し掛ける飯田京華ちゃん(中央)=熊本市中央区で2021年2月28日午後3時5分、栗栖由喜撮影

 熊本市中央区の飯田京華ちゃんは2016年4月16日、熊本地震で2度目の最大震度7を記録した本震の約1時間前に生まれた。5歳になり、近所の認定こども園に通っている。家族にとっての4月16日は、京華ちゃんが無事に生まれてきたことに感謝し、地震のことを語り合う日になった。両親は「思いやりのある子に育ってほしい」と願う。

 12日朝、京華ちゃんは父児郎(じろう)さん(43)、母あずささん(48)と手をつないで登園した。4月から年中組になり、玄関や風呂の掃除などのお手伝いもできるようになった。「行ってきます」。笑顔で手を振って園舎に入っていった。

 5年前の4月14日夜、予定日を3日過ぎていたあずささんは、児郎さんと長男明輝(はるき)さん(20)と居間でテレビを見ていて前震に襲われた。大きなおなかを手でかばって屋外に避難し、児郎さんと車中で一夜を明かした。微弱陣痛が続いたため、15日午後8時ごろに近くの産婦人科に入院したが、前震で建物の壁にひびが入り、分娩(ぶんべん)室は使えなかった。別の部屋で16日午前0時29分、3138グラムの京華ちゃんを出産した。

本震の約1時間前に生まれた飯田京華ちゃんを抱く母あずささん=熊本市中央区で2016年4月20日、柿崎誠撮影
本震の約1時間前に生まれた飯田京華ちゃんを抱く母あずささん=熊本市中央区で2016年4月20日、柿崎誠撮影

 56分後の午前1時25分、児郎さんが京華ちゃんを抱き上げた瞬間、下から突き上げるような揺れに襲われた。本震だった。熊本市では震度6強を観測したが、児郎さんが必死に守った京華ちゃんは腕の中ですやすやと眠っていた。「本震の時にお産になっていたらどうなっていたか。時間をはかったように生まれてきたのは不思議」。あずささんは今もそう感じている。

 自宅は無事だったが、児郎さんが勤める精肉卸売会社は取引先が被災し、一時業務の縮小を余儀なくされた。日常が一変した家族を癒やしたのが、京華ちゃんの笑顔だった。

 生まれた時は50センチだった背丈は110センチになり、小学生に間違われるほど大きくなった。児郎さんは園で、京華ちゃんが脚を手術した友達と手をつないで一緒に歩く練習をしているのを見かけた。「子どもの成長は早い。知らずと大きくなっている」とうれしそうに語る。

飯田京華ちゃん(中央)を中心に家族は笑顔に包まれた=熊本市中央区で2017年3月26日、須賀川理撮影
飯田京華ちゃん(中央)を中心に家族は笑顔に包まれた=熊本市中央区で2017年3月26日、須賀川理撮影

 おしゃべり好きで、疑問に思ったことは何でも質問する。あずささんが台所でキュウリを切ろうとしていると「キュウリの皮にとげがあるのはどうして?」と聞かれ、答えに窮したこともある。児郎さんがたばこを手にすれば「お父さん、体に悪いからやめてください」と口をとがらせる。

 毎年、京華ちゃんの誕生日には「大きな地震が来たけど、お父さんが抱っこして守ってくれたんだよ」と話をする。京華ちゃんも本震の日に生まれたことを少しずつ理解してきているという。あずささんと児郎さんは「たくさんの人が亡くなった日。だからこそ無事に生まれてきたことの大切さを伝えていきたい」と話す。

 明輝さんは地震の日に妹が生まれたことで命の尊さに気付き、当時避難所で懸命に活動していた自衛隊員の姿を目に焼き付けて高校卒業後の19年春、自衛官となった。「次は自分が人の役に立ちたい」と現在は実家を離れ奮闘している。

熊本地震の本震が発生した日に生まれた飯田京華ちゃん(中央)と父児郎さん、母あずささん=熊本市中央区で2021年2月28日午後3時15分、栗栖由喜撮影
熊本地震の本震が発生した日に生まれた飯田京華ちゃん(中央)と父児郎さん、母あずささん=熊本市中央区で2021年2月28日午後3時15分、栗栖由喜撮影

 「この子も思いやりのある子に育って、人のためになるような仕事についてくれたらうれしい。これからの成長が楽しみ」。児郎さんとあずささんは、園舎に向かって元気に歩き出した京華ちゃんの背中を笑顔で見送った。【栗栖由喜】

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