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熊本地震

2016年4月14日と16日に発生した熊本地震。最大震度7の激震に2度襲われ、熊本、大分両県で関連死を含めて275人が亡くなった。

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消えた学生村、残ったつながり 東海大生「阿蘇のためが成長に」

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東海大熊本キャンパスで開かれた追悼式に学生代表として参列し、追悼の言葉を述べる東海大の学生らの団体「阿蘇の灯」前代表の野田良多さん=熊本市東区で2021年4月16日午後5時21分、平川義之撮影 拡大
東海大熊本キャンパスで開かれた追悼式に学生代表として参列し、追悼の言葉を述べる東海大の学生らの団体「阿蘇の灯」前代表の野田良多さん=熊本市東区で2021年4月16日午後5時21分、平川義之撮影

 2016年4月16日に発生した熊本地震の本震で、熊本県南阿蘇村の東海大旧阿蘇キャンパスで学んでいた学生3人が犠牲になった。5年がたち地震を直接体験した学生が卒業した今も、閉鎖された旧キャンパスがある黒川地区に通い、住民と交流しながら地震を語り継ぐ後輩たちがいる。

 東海大農学部の学生らでつくる団体「阿蘇の灯(あかり)」の前代表で4年生の野田良多(りょうた)さん(21)は16日未明、仲間8人と共に学生3人と住民1人が亡くなったアパート跡などを訪れ、手を合わせた。地震当時、福岡県八女市の高校生だった野田さんは4人と面識はないが「生きたくても生きられなかった人たちがいる。その事実を風化させてはならない」と話す。

 農学部の大学生と大学院生が学んだ旧阿蘇キャンパスでは、約800人の学生たちがキャンパス近くで下宿やアパート住まいをしていた。多くの学生たちが暮らす黒川地区は「学生村」と呼ばれ、地域住民とも交流があった。だが南阿蘇村で震度6強を観測した熊本地震の本震で学生アパートや民家が倒壊。大きな被害を受けたキャンパス機能は熊本市に移り、学生たちもいなくなった。

 そうした中、「住民の力になりたい」と旧阿蘇キャンパスで学んでいた学生たちが16年11月に設立したのが「阿蘇の灯」だ。メンバーは熊本市から黒川地区に通い、住民と共に被災体験を語る活動を始めた。時には学生アパートや下宿を営んでいた住民らと食卓を囲みながら親交を深め、犠牲者の追悼を続けてきた。

 野田さんは18年に入学後、先輩に誘われて活動に参加。自ら被災体験はないが20年に代表になると、防災学習のために地区を訪れる小中学生らに先輩や住民たちから伝え聞いた地震の話をするようになった。学生たちでにぎやかだった地区の様子や被害状況に加え、必ず語るようにしていることがある。

 ここでは、学生と住民との強いつながりがあったこと。普段から学生たちは住民の家に遊びに行ったり農作業を手伝ったりしていたので、学生と避難が難しい高齢者らがどこに住んでいるのか互いに把握していたこと。被害の規模からするともっと多くの犠牲が出ても不思議ではなかったが、住民と学生が助け合って避難できた。

 20年7月に熊本県南部を豪雨が襲った際、野田さんは被害の大きかった人吉市で十数日間、ボランティアとして被災家屋の片付けを手伝った。「大変な作業をしてくれてありがとう」。初めて足を運んだ災害直後の現場で被災者と接し、南阿蘇の人たちの苦労が少し分かった気がした。

 野田さんたち学生団体のメンバーはこの日の夕方、熊本市東区の東海大熊本キャンパスで開かれた大学の追悼式にも参列した。野田さんは学生代表として約90人を前に追悼の言葉を述べた。「『阿蘇のために』と考え活動してきたが、自分自身の成長につながっていた。私たちにできることは、亡くなられた先輩の分まで、前を向き歩いていくことです」【栗栖由喜】

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