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先月のピカイチ 来月のイチオシ

毎月数多くの公演に足を運び耳を傾けている鑑賞の達人が、1カ月で最も印象に残った演奏と、これから1カ月で聴き逃せないプログラムを紹介します。

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先月のピカイチ 来月のイチオシ

思い出の「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「パルジファル」(前編)

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バイロイト音楽祭開催中ともなれば熱心なワグネリアンが集うバイロイト祝祭劇場
バイロイト音楽祭開催中ともなれば熱心なワグネリアンが集うバイロイト祝祭劇場

 首都圏における緊急事態宣言は解除されたものの、まん延防止等重点措置が発動されたことに加えて、海外アーティストの来日には依然として高いハードルが設けられていることから、演奏会やオペラ公演の日常が戻ってくるのにはもう少し時間がかかりそうだ。そこで今回の「先月のピカイチ、来月のイチオシ」連載は、好評だった「思い出に残るワーグナー」の第2弾として「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「パルジファル」3作品の公演から選者の皆さんに最も記憶に残るステージと次点を紹介していただきました。

◆東条碩夫(音楽評論家)選◆

■「トリスタンとイゾルデ」

大阪国際フェスティバル1967 バイロイト・ワーグナー・フェスティバル(1967年4月10日 フェスティバルホール)

大阪国際フェスティバル(1967年)のプログラム冊子中面=筆者提供 拡大
大阪国際フェスティバル(1967年)のプログラム冊子中面=筆者提供

ピエール・ブーレーズ指揮NHK交響楽団/ヴィーラント・ワーグナー演出/ヴォルフガング・ヴィントガッセン(トリスタン)/ビルギット・ニルソン(イゾルデ)/ハンス・ホッター(マルケ王)他

【次点】

ミラノ・スカラ座(2007年12月11日)

ダニエル・バレンボイム指揮スカラ座管弦楽団/パトリス・シェロー演出/イアン・ストレイ(トリスタン)/ヴァルトラウト・マイヤー(イゾルデ)/マッティ・サルミネン(マルケ王)他

■「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

バイロイト音楽祭(1988年8月29日 バイロイト祝祭劇場)

ミヒャエル・シェーンヴァント指揮バイロイト祝祭管弦楽団/ヴォルフガング・ワーグナー演出/ベルント・ヴァイクル(ザックス)/ペーター・ホフマン(ワルター)他

【次点】

バイロイト音楽祭(2017年8月19日 バイロイト祝祭劇場)

フィリップ・ジョルダン指揮バイロイト祝祭管弦楽団/バリー・コスキー演出/ミヒャエル・フォレ(ザックス)/クラウス・フローリアン・フォークト(ワルター)他

バリー・コスキーの演出によるバイロイト音楽祭2017年の舞台から、ヴァーンフリート館に集うワグネリアンたち (C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath
バリー・コスキーの演出によるバイロイト音楽祭2017年の舞台から、ヴァーンフリート館に集うワグネリアンたち (C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

■「パルジファル」

バイロイト音楽祭(2009年8月27日 バイロイト祝祭劇場)

ダニエレ・ガッティ指揮バイロイト祝祭管弦楽団/シュテファン・ヘアハイム演出/クリストファー・ヴェントリス(パルジファル)/藤村実穂子(クンドリ)/クヮンチュル・ユン(グルネマンツ)他

【次点】

新国立劇場(2014年10月2日 新国立劇場オペラパレス)

飯守泰次郎指揮東京フィルハーモニー交響楽団/ハリー・クプファー演出/クリスティアン・フランツ(パルジファル)/ジョン・トムリンソン(グルネマンツ)他

 私にとっての「トリスタンとイゾルデ」のベストは、やはり「バイロイト大阪公演」でのヴィーラント・ワーグナーの演出による宏大(こうだい)な夜の世界だ。底知れぬ巨大な闇の中にイゾルデの上半身だけが光を浴びて浮かび上がるあの幕切れ場面ひとつとっても、生涯忘れえぬ思い出である。当時の最高の名歌手たちが集った歌唱陣も二度と聴けぬものだろう。次点には、鬼才シェローによる、灰色の壁に囲まれた「出口のない」世界のドラマとして描き出された舞台の「トリスタン」を選ぶ。歌手陣はマイヤーとサルミネン以外は話にならぬほど低調だったが、仕方がない。スカラ座のオーケストラを地霊の叫びのごとく咆哮(ほうこう)させ、うねらせたバレンボイムの指揮はすごかった。

 ヴォルフガング演出「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はまさにトラディショナルな舞台。最初観(み)た時には、こんな古臭い演出はどうしようもないとさえ思ったほどだったが、今では、これはやはりひとつの時代における完成品と感じている。微細な演技で正確にドラマを構築し、何の衒(てら)いもなくドイツ芸術をたたえる率直なこの舞台は、むしろ貴重な記録というべきだろう。一方、次点に挙げたバイロイトの最新プロダクションは、ユダヤ系演出家コスキーが自らユダヤ人問題を取り上げ、それをのみ込みつつワグネリアンたちのサークルがドイツ芸術を必死に弁護する設定とした舞台。ドイツの劇場としては勇敢な試みだ。

 「パルジファル」は何といっても、ヘアハイムの魔術的な幻想舞台が面白かった。バイロイトのワーグナー邸の庭と建物を中心モティーフに、ほぼ1世紀にわたるドイツの歴史の変遷を物語に重ね合わせ、人物や出来事に関する記憶やイメージを巧みに交錯させた、稀有(けう)な深層心理的演出だった。われらの藤村実穂子がバイロイトの大舞台で主役を張ったプロダクションとしても忘れえぬものだろう。一方、次点には、わが国のワーグナー指揮者・飯守泰次郎が新国立劇場芸術監督就任第1作として制作・指揮した上演を選んでおきたい。キリスト教と仏教が融合し、ともに救済への道を進む——というクプファーの演出コンセプトは、日本における「パルジファル」上演の意義を解き明かすものでもあった。


◆柴田克彦(音楽ライター)選◆

■「トリスタンとイゾルデ」

ザルツブルク・イースター音楽祭 日本公演(2000年11月23日 東京文化会館大ホール)

クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/クラウス・ミヒャエル・グリューバー演出/ジョン・フレデリック・ウェスト(トリスタン)/デボラ・ポラスキ(イゾルデ)/リオハ・ブラウン(ブランゲーネ)/ラースロー・ポルガール(マルケ王)他

■「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ベルリン州立歌劇場 日本公演(1987年3月 NHKホール)

オトマール・スウィトナー(指揮)/ヴェルナー・ケルヒ演出/テオ・アダム(ハンス・ザックス)他

当地では公演が中止されているベルリン州立歌劇場。公演の再開と来日公演が待ち遠しい (C)Staatsoper Unter den Linden / Marcus Ebener
当地では公演が中止されているベルリン州立歌劇場。公演の再開と来日公演が待ち遠しい (C)Staatsoper Unter den Linden / Marcus Ebener

■「パルジファル」

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2010-東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.1(2010年4月2日 東京文化会館)

ウルフ・シルマー指揮NHK交響楽団(演奏会形式)/ブルクハルト・フリッツ(パルジファル)/ミヒャエラ・シュスター(クンドリ)/フランツ・グルントヘーバー(アムフォルタス)/ペーター・ローズ(グルネマンツ)/シム・インスン(クリングゾル)他

2010年の東京・春・音楽祭より演奏会形式で上演された「パルジファル」。今年の音楽祭はオンラインと併せて4月23日(配信は5月1日)まで開催されている 写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会/撮影:青柳 聡
2010年の東京・春・音楽祭より演奏会形式で上演された「パルジファル」。今年の音楽祭はオンラインと併せて4月23日(配信は5月1日)まで開催されている 写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会/撮影:青柳 聡

 ザルツブルク・イースター・フェスティバル日本公演の「トリスタンとイゾルデ」は、オーケストラの素晴らしさ(ワーグナーのオペラはこれがかなり重要だと思っている)が、これまで接した全オペラ中のナンバーワンクラス。来日後に病気入院という緊急事態の中で指揮したアバドの鬼気迫る、それでいて透徹した音楽と、緻密で濃密で果てしなく美しいベルリン・フィルの演奏は、いまだ忘れ難い。歌手陣も完璧ではないにしろ水準が高く、中でもデボラ・ポラスキのイゾルデが魅力的だった。このほか、チョン・ミョンフン&東京フィル、シルヴァン・カンブルラン&読響の両演奏会形式の公演も印象に残っている。

 他の2演目は、体験回数があまりに少ないので語る資格などないのだが、「マイスタージンガー」は、東ドイツ時代の当歌劇場ならではの温かみや柔らかみ、テオ・アダムのヒューマンな歌唱が記憶に残るベルリン州立歌劇場の公演、「パルジファル」は、じわじわと感銘深く、長さをまるで感じさせなかった東京春祭の公演をあげておく。


◆池田卓夫(音楽ジャーナリスト)選◆

■「トリスタンとイゾルデ」

ザルツブルク・イースター音楽祭 日本公演(2000年11月23日 東京文化会館大ホール)

クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/クラウス・ミヒャエル・グリューバー演出/ジョン・フレデリック・ウェスト(トリスタン)/デボラ・ポラスキ(イゾルデ)/リオハ・ブラウン(ブランゲーネ)/ラースロー・ポルガール(マルケ王)他

【次点】

パリ国立オペラ 来日公演(2008年7月27日 オーチャードホール)

セミヨン・ビシュコフ指揮パリ国立オペラ管弦楽団/ピーター・セラーズ(演出)/ビル・ヴィオラ=ビデオアート/クリフトン・フォービス(トリスタン)/ヴィオレッタ・ウルマーナ(イゾルデ)/エカテリーナ・グバノヴァ(ブランゲーネ)/フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(マルケ王)他

■「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ザルツブルク音楽祭(2013年8月12日 ザルツブルク祝祭大劇場)

ダニエレ・ガッティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ステファン・ヘアハイム演出/ミヒャエル・フォレ(ザックス)/アンナ・ガブラー(エーファ)/ロベルト・サッカ(ヴァルター)他

ザルツブルク音楽祭2013「マイスタージンガー」より、マルクス・ウェルバ(ベックメッサー)とミヒャエル・フォレ(ザックス) (C)Salzburger Festspiele / Forster
ザルツブルク音楽祭2013「マイスタージンガー」より、マルクス・ウェルバ(ベックメッサー)とミヒャエル・フォレ(ザックス) (C)Salzburger Festspiele / Forster

【次点】

二期会創立50周年記念公演(2002年7月27日 東京文化会館大ホール)

クラウス・ペーター・フロール指揮東京フィルハーモニー交響楽団/クルト・ホレス演出/多田羅 迪夫(ザックス)/佐々木 典子(エーファ)/福井 敬(ヴァルター)他

■「パルジファル」

新国立劇場(2014年10月2日 新国立劇場オペラパレス)

飯守泰次郎指揮東京フィルハーモニー交響楽団/ハリー・クプファー演出/エギリス・シリンス(アムフォルタス)/ジョン・トムリンソン(グルネマンツ)/クリスティアン・フランツ(パルジファル)/エヴェリン・ヘルリツィウス(クンドリ)/ロバート・ボーク(クリングゾル)他

新国立劇場「パルジファル」(2014年)より 撮影:寺司正彦
新国立劇場「パルジファル」(2014年)より 撮影:寺司正彦

【次点】

バイロイト音楽祭(2005年7月29日 バイロイト祝祭劇場)

ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭管弦楽団/クリストフ・シュリーゲンジーフ演出/アレハンドロ・マルコ=ブールメスター(アムフォルタス)/ロベルト・ホル(グルネマンツ)/アルフォンス・エーベルツ(パルジファル)/ミシェル・デ・ヤング(クンドリ)/ジョン・ウェグナー(クリングゾル)他

 最初に「トリスタンとイゾルデ」全曲を実演で観たのは1993年ベルリン・ドイツ・オペラ(DOB)日本公演。ゲッツ・フリードリヒ演出、イルジ・コウト指揮でルネ・コロ、ジャニス・マーティンが題名役を演じたNHKホールの舞台だった。往年のワーグナー上演スタイルの痕跡が最後に残っていた気もするが、自分の好みはもっと繊細な〝ガラスのイゾルデ〟だ。ポラスキやウルマーナの柔らかな情感に富む歌に強くひかれた。都内の病院に半ば入院状態、点滴を打ちながら「トリスタン」に臨んだアバドは「命懸けの指揮」で、ベルリン・フィルも最上の誠意で応えていた。エロス&タナトスの極致。ビデオアートとのコラボレーションで歌手の肉体的負担を減らし、音楽に集中できた点では、今は亡き名プロデューサーのジェラール・モルティエの発案したビル・ヴィオラの起用が画期的だった。

 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の最初の本格観賞はやはり1993年DOB日本公演だが、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの指揮が私には明る過ぎるように思え、劇場総裁で演出も手がけたゲッツ・フリードリヒに質問したら「この作品にはコメディーの要素も大切だから」とかわされた。「暗く重たいドイツ観念一辺倒の音楽ではない」との主張は、確かに一理ある。作曲者生誕200年の記念にザルツブルクが例外的に手がけた「マイスタージンガー」を指揮したガッティはウィーン・フィルの柔軟性を生かし、理想の響きを引き出した。フォレの幾分かの若さを残したザックス像が、舞台全体にも艶を与えていた。「ガリバー旅行記」を思わせるヘアハイムの仕掛けは面白く、温かく楽しい舞台だった。二期会の日本人歌手のドイツ語歌唱は、2000年前後の方がしっかりしていたのかもしれない。

 長く避けてきた「パルジファル」と向き合ったのは、1997年のダニエル・バレンボイム指揮ベルリン州立歌劇場日本公演に関わった時だった。日本では演奏会形式上演だったが、準備のために訪れた同年4月のベルリン・フェストターゲで復活祭(イースター)前の「聖金曜日」当日、ハリー・クプファー演出とバレンボイム指揮の舞台に遭遇できた感慨は大きかった。同じクプファーが亡くなる5年前、日本で制作した新演出はベルリン版と大きく異なり、晩年のワーグナーが仏教をはじめとする東洋思想に深く傾倒した足跡を追うかのように、「天竺への道」で幕を閉じ、深く心に残る余韻を残した。1997年のベルリンと同じトムリンソンがまだ、グルネマンツを歌っていたのも奇跡だった。キリスト教の枠を超えた作品世界を逆手にとり「何でもあり」のグロテスクなヴィジュアルで物議を醸したドイツのハプニング演出家シュリーゲンジーフは2010年に49歳で急逝、ブーレーズも2016年に90歳で亡くなった。シュリーゲンジーフ演出の2年目、ブーレーズ80歳記念の「パルジファル」は歌よりも管弦楽の異様なまでの美しさ、静けさで長く記憶に残っている。

後編に続く。

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