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田中将大(野球)|東京オリンピック

「マー君、神の子、不思議な子」と野村克也さんが語った日本を代表するエース。侍ジャパンで唯一、北京五輪を経験している

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恩師が明かす、若き日の楽天・田中将大に考えを改めさせた言葉

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震災について語る楽天コーチ時代の佐藤義則さん=大阪市北区で2011年4月6日、宮間俊樹撮影
震災について語る楽天コーチ時代の佐藤義則さん=大阪市北区で2011年4月6日、宮間俊樹撮影

 楽天の田中将大投手はかつて日本でプレーしていた時、「覚醒した瞬間」があった。その時を知る元楽天投手コーチの佐藤義則さん(66)=現・関メディベースボール学院統括投手コーチ=に当時を振り返ってもらった。

 2008年、当時野球評論家だった佐藤さんの電話に着信があった。「田中を一人前にしてほしい」。楽天監督の野村克也さんからだった。この年、高卒2年目の田中将は前年の11勝を下回る9勝に終わった。5位と低迷したチームの巻き返しのためにも田中将の成長は急務。そこで野村さんは、日本ハムのコーチ時代にダルビッシュ有(現大リーグ・パドレス)を育てた名伯楽の佐藤さんに田中将の指導を託したのだった。

 投手コーチに就任した佐藤さんが着目したのが左膝の使い方だ。「低めがどうしてもスピードが出ない感じがあったので。膝がしっかり頑張り切れれば低めも強い球が行くという話をした」。投球で左足が接地する際に左膝が「割れない」ようにすること。それは44歳まで現役を続けた佐藤さん自身の持論でもあった。

 田中将はアドバイスを受け入れ、キャッチボールからじっくりとフォームを修正したという。「結構、(考えが)固そうに見えるけれど、投げることに関しては器用なのかなと。いろんな投手を教えてきたけれど、(助言を聞き入れる柔軟さは)大事なところ。あとはどんどん良くなるばっかりだったね」

 若手だった田中将と、印象に残るやり取りがあった。ある時、…

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