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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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後悔の末にたどり着いた供養 「朝課」続け10年 岩手・陸前高田

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普門寺で10年間朝課を続ける熊谷光洋さん=岩手県陸前高田市の普門寺で2021年2月28日午前9時46分、韮澤琴音撮影 拡大
普門寺で10年間朝課を続ける熊谷光洋さん=岩手県陸前高田市の普門寺で2021年2月28日午前9時46分、韮澤琴音撮影

 東日本大震災で犠牲になった人たちの冥福を祈り、朝にお経を唱える「朝課(ちょうか)」を10年にわたって続ける僧侶がいる。普門寺(岩手県陸前高田市)の住職、熊谷光洋さん(69)。息子が行方不明となった両親の頼みを断った後悔と、親友の僧侶から届いた1通の手紙がきっかけだった。【韮澤琴音】

 杉の木が立ち並ぶ普門寺は海抜約100メートルに位置し、津波の被害を免れた。陸前高田市は関連死を含めて県内最大の約1800人が犠牲になり、普門寺も一時、360柱を超える身元不明の遺骨を預かった。

東日本大震災の犠牲者にお経を唱える熊谷光洋さん=岩手県陸前高田市の普門寺で2021年2月28日午前6時5分、韮澤琴音撮影 拡大
東日本大震災の犠牲者にお経を唱える熊谷光洋さん=岩手県陸前高田市の普門寺で2021年2月28日午前6時5分、韮澤琴音撮影

 震災後の数カ月間、普門寺には行方不明の家族の手がかりを求めて訪れる人が多くいた。なかでも忘れられないのは、2011年6月に仙台市から訪れた中年夫婦だ。陸前高田市にいた息子が行方不明といい、午前6時に「お勤めに参列させてほしい」とやってきた。だが、断った。当時、寺では朝課自体をしていなかった。寺の離れにボランティアが寝泊まりしていたこともあり、「(ボランティアを)起こしたくないから」と帰らせてしまった。

 激しく後悔していたとき、新潟にいる親友の僧侶から手紙が届いた。「どうしようもない状況だけど、陸前高田市の犠牲者を朝課で供養しています」。そう記された手紙を見て、犠牲者の供養をし続けようと決意した。11年7月からほぼ毎日、朝課をしている。「行方不明、身元不明の方が遺族の元へ帰れるまではやめられないな」。そう考えたからだ。

 家族を失った人々に何と声を掛ければいいのか、今も分からない。それでも朝課を続けるのは、悲しみに暮れる人たちに、「あなたをちゃんと見守っている」と示したいからだ。「和尚が一生懸命、手を合わせる姿を見て、『魂はここにいる』と感じてもらえたら」。普門寺には今も11柱の身元不明の遺骨が眠る。

 陸前高田市で娘が行方不明となり、何度も寺を訪れる北海道の夫婦の言葉をよく覚えている。「ここに来ると、娘に会える気がするの」。これからも、遺族に安心を与えられる寺であり続けたいと思っている。

【東日本大震災】

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