特集

東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

特集一覧

津波から逃れた漁師 「それでも海と生きる」覚悟を胸に夢かなえ

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
魚をモチーフにした木彫作品を抱える深渡栄一さん=岩手県野田村野田の「魚の番屋」で2021年3月6日、韓光勲撮影 拡大
魚をモチーフにした木彫作品を抱える深渡栄一さん=岩手県野田村野田の「魚の番屋」で2021年3月6日、韓光勲撮影

 「漁師彫り」。そんな看板を掲げた木彫美術館が岩手県野田村にある。館内には、魚など海の生き物をモチーフにした野性味あふれる作品の数々が並ぶ。館主で漁師の深渡(ふかわたり)栄一さん(68)は、東日本大震災時に間一髪で津波を逃れたが、作品群の一部や全ての彫刻道具、漁具を流された。しかし、その半生は海なしでは語れない。「やっぱり海と生きていく」。震災後、改めてそう決意している。

拡大

 10年前の震災当日。午後2時ごろ、深渡さんは村の南にある下安家(しもあっか)漁港から船で沖に出た。岸から約5キロの場所にホタテの養殖場があり、1時間ほど作業をして引き返した。深渡さんはこの時、海水の冷たさで、リウマチの手が痛かったことを鮮明に覚えている。

 港に戻った時、異変に気づいた。見えるはずがない岸辺の海底が顔をのぞかせていた。「まずい。津波が来る」。沖合の作業で地震の揺れは全く分からなかったが、いつもならあり得ない引き潮の状況から、危険を悟った。

下安家港の岸壁で東日本大震災当時を振り返る深渡栄一さん=岩手県野田村玉川で2021年3月7日、韓光勲撮影 拡大
下安家港の岸壁で東日本大震災当時を振り返る深渡栄一さん=岩手県野田村玉川で2021年3月7日、韓光勲撮影

 急いで岸壁に船を着けたが、水位が下がっており、いつもは船から飛び移る陸地が頭上にある。その先に見える高台から「早く逃げろ!」と声がしたが、どうしようもなかった。妻と3人の子どもの顔が頭に浮かび、「もう終わりだ。二度と会えねえな」と覚悟を決めた。

 しかし、その直後、津波の第1波で水位が上がり、船がちょうど岸壁に飛び移ることができる高さに浮かび上がった。とっさに岸に飛び移り、近くに止めてあった自家用軽トラックに乗り込み、必死にアクセルを踏んだ。高台につながる坂道を一気に駆け上がり、九死に一生を得た。

 午後3時半過ぎ。真っ黒な津波が下安家地区をのみ込んだ。家や橋は流され、サケやマスのふ化場は水面下に沈み、船は岸壁にぶつかって砕け散った。消波ブロックが小石のように跳ねるのも見えた。海岸近くにあった深渡さんのアトリエ兼漁具倉庫も流された。

 深渡さんの半生は、海と共にあった。15歳から遠洋漁業に出て、青森・八戸や宮城・塩釜などを拠点にベーリング海やアラスカ海域などを巡った。出漁中は海の上で生活し、短い時は1カ月、長い時は半年、家に戻らなかった。

 40歳を過ぎてから家業を継ぐことにし、地元でサケ漁やホタテ養殖をするようになった。仕事の合間に、本格的に始めたのが木彫だった。小さい頃から図工が好きで、20代から魚を彫るなどしてきたが、趣味が高じて東京で個展を開くまでになった。そんな「生きがい」から生まれた作品群の一部も震災で流された。

 家族が全員無事だったことは救いだった。震災時、妻見子(けんこ)さん(58)は村内の高台にある国民宿舎「えぼし荘」で働いており、2人の息子は関東にいた。盛岡の大学に通っていた長女糸見(いとみ)さん(29)も無事で、数日後には知り合いに託して缶コーヒーと菓子パンを送ってくれた。娘の気遣いに、深渡さんは「あんなにうまいコーヒーはなかった」と振り返る。停電が続く中、25年前のウエディングケーキで使ったロウソクで明かりをとり、見子さんは避難所になっていた宿舎に手伝いに通った。

深渡栄一さんは1日6時間以上、ノミを握り、海の生き物を彫る=岩手県野田村玉川で2021年3月7日、韓光勲撮影 拡大
深渡栄一さんは1日6時間以上、ノミを握り、海の生き物を彫る=岩手県野田村玉川で2021年3月7日、韓光勲撮影

 津波で多くを失ったが、自分もまだ元気だし、彫刻も一から始めればいい。そう思う中で、ずっと描いてきた夢が急に膨らんできた。「海の生き物をモチーフにした木彫美術館」。どうせ拾った命なら、夢を現実にしようと決意した。

 ありがたいことに、個展で出会った人や自宅に作品を見に来てくれた人から彫刻道具が届いた。リウマチの注射を打ちながら、ノミを握り、作品を生み出し続けた。2018年5月、借金もして村内の山の上に念願の木彫美術館「魚の番屋」を開いた。

 セイウチやマグロなど1メートルを超える作品も含めた400点以上を並べ、漁師の仕事も紹介しようと網やもりなどの漁具も展示する。年間来場者は19年に4000人を超えたが、コロナ禍で20年は9割減り、今年は3月までに10人しか来なかった。震災後はホタテ養殖からは手を引き、サケ漁は再開したが、新たに買った船の借金も残る。

漁師で木彫作家の深渡栄一さんは震災直後、海と生きる覚悟を板につづった=岩手県野田村野田で2021年3月6日、韓光勲撮影 拡大
漁師で木彫作家の深渡栄一さんは震災直後、海と生きる覚悟を板につづった=岩手県野田村野田で2021年3月6日、韓光勲撮影

 それでも、深渡さんに悲壮感はない。命があり、作品づくりを続けられる喜びがある。美術館入り口の看板には、「それでも海と生きるぞ」とも記してある。震災直後に記した覚悟は、10年たった今も変わることはない。【韓光勲】

【東日本大震災】

時系列で見る

次に読みたい

あわせて読みたい

注目の特集