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常夏通信

その90 戦没者遺骨戦後史(36)海没した30万人行方不明のまま

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プロ野球創成期のエース、沢村栄治投手=東京・洲崎球場で
プロ野球創成期のエース、沢村栄治投手=東京・洲崎球場で

 プロ野球の歴史に詳しい人ならば、沢村栄治のことを知っているだろう。その歴史に関心のない人でも、プロ野球ファンならば「沢村賞」のことは知っているはずだ。ではその沢村が戦時中3度も徴兵され、最期は乗っていた輸送船がアメリカの潜水艦に撃沈され亡くなったことは、どれくらい知られているだろうか。

収容するつもりがある?

 日本政府は1952年に戦没者の遺骨収容を始めた。しかし長い間、国による戦没者遺骨の収容については「国がそれをやらなければならない」という根拠法がなかった。国はいつでもやめることができたし、実際にやめようとした。第二次世界大戦で日本人がどこで何人死んだのか、正確には分からない。それゆえ、「すべての遺骨を収容した」と断言することは不可能である。遺骨収容が始まったのは独立を回復した1952年度。生きている戦争被害者への補償さえほとんどなされていなかった。インフラ整備も不十分。多数の日本人が亡くなったソ連、中国とは国交がなく、遺骨収容どころか調査さえできなかった。そんな状況で政府が「遺骨収容はもう終わりにしよう」と考えるのは、私は共感はしないが「そう思うのは自然だろうな」とは思う。

 しかし収容事業が始まってから半世紀以上がたち、状況は変わった。2016年、超党派議員立法により「戦没者遺骨収集推進法」(推進法)が成立した。遺骨収容を「国の責務」と位置づける、画期的な内容だった。とはいえ一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている常夏記者こと私は、「?」と思うところもあった。たとえば、前回も見た「相手国事情により収容が困難な遺骨」だ。同法ができても、中国や北朝鮮では遺骨収容どころか本格的な調査すらできていない。さらに、沢村のように海で亡くなった者たちの遺骨についても、「本気で収容するつもりがあるのか?」と疑問を持った。どうやって収容するのか、具体的な道筋は何も示されなかったからだ。

陸軍に3度召集された大エース

 沢村は1917年、三重県・宇治山田で生まれた。京都商業(現京都学園高校)に進みエースとなった。けた外れの速球とドロップ(大きく落ちるカーブ)を誇り、夏の甲子園大会の京都府予選では計48回を投げて97三振を奪った。

 沢村が球界関係者に注目されていたころ、…

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