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東日本大震災で父が犠牲になった宮城県南三陸町出身の神奈川大大学院2年、高橋禎希(よしき)さん(24)が、自ら作詞作曲を手掛ける音楽ユニットで震災をテーマにしたオリジナル曲「彼方(かなた)へ」を制作し、動画投稿サイトで配信している。震災後、国内外からさまざまな支援を受けたことに感謝し、音楽で思いを発信したいと考えるようになった。「知らない誰かからのメッセージが力になることを実感した。自分も、誰かに寄り添える音楽を作っていきたい」と話す。
町職員だった父文禎(ふみよし)さん(当時43歳)は、43人が犠牲になった町防災対策庁舎で津波に流され、現在も見つかっていない。
禎希さんは小学4年の時に野球を始め、毎日夕方になると、元高校球児の文禎さんから熱血指導を受けた。「ごく普通のお父さん」という印象が強かったが、震災から約1年後、文禎さんが見つからないままに行った葬儀には多くの人が参列し、「周りの人に慕われ、信頼されていたのだな」と実感した。
震災時、禎希さんは通っていた志津川中学校に、母吏佳(りか)さん(48)は町内の職場に、弟の知輝(ともき)さん(21)と妹の京佳(きょうか)さん(20)は志津川小学校にいて、いずれも無事だった。その直後、吏佳さんは3人の子どもたちを不安にさせないよう、安否も分からないまま「パパはまだ仕事をしている」と説明していた。間もなく、父が津波に流された可能性があると吏佳さんから伝えられた時、禎希さんは「母が必死に涙をこらえている」と感じたことを覚えている。
震災2日後から、吏佳さんと禎希さんはがれきに覆われた街の中で文禎さんを捜して回った。ある日、父に会えないさみしさから吏佳さんの前でおえつを漏らしている知輝さんの姿に気づき、胸が押しつぶされそうになった。「家族が苦しむ姿を見るのが最もつらく、自分がしっかりしなければと思った」
悲しみの中、国内外から被災地に寄せられる支援は温かかった。被災後の中学校では満足に野球もできなかったが、岡山市の大学が地元中学との試合に招いてくれた。また、震災遺児対象の米国留学に参加し、1カ月間の海外生活も経験できた。それぞれの場所で出会う人たちに親切にされる一方、地元を離れるほど故郷の景色の美しさを再認識した。
2016年に神奈川大学に進学し、地元から離れて生活するようになった。外国文学を学びながら、好きな音楽に熱中し、バンドのボーカルとしてライブもするようになった。20年1月、英語で「素朴」と「日記」を意味する音楽ユニット「RUSTiC DiARY」を結成。ユニット名は、何気ない日常を切り取って表現したいという思いから付けた。ピアノ、ドラム担当のメンバーとの3人グループで活動している。
「彼方へ」はユニット初のオリジナル曲。震災から10年間にわたる自分の内面に向き合い、遠くに旅立ってしまった人や、遠くから思いを寄せてくれた人、未来に向けた思いを詩にした。曲を配信するユーチューブで流す動画も編集し、故郷の志津川湾の朝焼けと、今住んでいる横浜市で眺める夕焼けを映し出した。配信を始めた4月10日は文禎さんの誕生日でもあった。禎希さんは「自分の曲が、先行きの見えないコロナ禍で不安を抱える人たちの励ましにもなれれば」と話している。
「彼方へ」はユーチューブ(https://youtu.be/-dXeA6bYLx0)で聴くことができる。【金寿英】
◇
彼方へ(歌詞全文)
何もかもが夢のようでさ
「自分って何か」と言い聞かして
ひとり立ち止まる日の事
糧にして歩けた時もあった
いつにもなく春を感じてる
冬を溶かした朧(おぼろ)雲が
故郷の方に流れてゆく
いつかの僕に 何か伝えたくて
形ないものだけが 残され続けてゆく
曖昧な面影 連れた人がまた歩いてる
諦めた事 抱え込んだ事
このまま終わってしまえばって思った
傷跡癒せぬままでいい
気づけた全てを愛せるように
当たり前だけど ここまで来れたと
不安も馬鹿馬鹿(ばかばか)しく思えてくる
Ah 時代を駆ける鳥であれ
足元フラつく道から
思い出重なる日までは
この手を離したりしないから
遠い日の約束の中で
短い春を永遠(とわ)に感じてる
今を生きている
心で愛している
君がくれた世界は 笑える程
美しい何かが巡ってる
もう少しだけと 手を繋(つな)いだ事
僅かな光だけを見つめた
見知らぬ内に癒されて
心が痛みを忘れている
誰かの為(ため)と 自分の為とを
掛け合わせ切れない自分もいる
まだ産まれたての小鳥のような
羽ばたく空は見えなくても
もう少しだけと 繋いだ心が
僅かな可能性だけを作った
ここから始まる全てが
未来に生きてる君の為に
前だけ見てる もう戻れない
いくつになっても変わらぬものが
また遠い彼方で会えるように
あなたが笑顔でいれますように
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