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常夏通信

その91 戦没者遺骨の戦後史(37)海没遺骨は水葬だから収容しない?

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日本海軍の拠点だったトラック諸島(現ミクロネシア連邦・チューク諸島)では、多くの艦船が沈んでいる。海底からダイバーの手で引き揚げられる遺骨=1984年7月、迫修一撮影
日本海軍の拠点だったトラック諸島(現ミクロネシア連邦・チューク諸島)では、多くの艦船が沈んでいる。海底からダイバーの手で引き揚げられる遺骨=1984年7月、迫修一撮影

 「戦没者遺骨の収容を『国の責務』とした法律ができたのに。海で死んだ人たちの遺骨を収容するのは、あきらめているんだな」。戦没者の遺骨収容を所管する厚生労働省の資料を見て、私はそう思った。

見捨てられた海没遺骨

 前回の本連載で見たように、第二次世界大戦では日本人およそ30万人が海で死んだ。乗っていた船が米軍潜水艦などによって撃沈されて、即死した人が多かっただろう。他方で、けがをしなかったものの海に投げ出され、長い間海を漂流し溺れ死んだ人もたくさんいただろう。どれほど苦しかったか、想像すると胸が痛む。

 大日本帝国海軍が時代遅れの艦隊決戦という戦術思想を重視し、兵士や物資の輸送を軽視したしわ寄せであった。本連載ですでに触れたことだが、大日本帝国の軍幹部を含む為政者たちはアメリカを降伏させることができないことは分かっていた。目指したのは有利な講和だ。しかし、その講和への現実的なロードマップはなかった。近現代の戦争では戦争を始める為政者は最前線には行かない。その為政者たちが勝てるはずのない戦争を始め、本土空襲が激化して敗戦は必至となってもずるずると戦争を続けた結果、多数の庶民が殺された。いまだ100万体以上の遺体・遺骨が行方不明だ。

 2016年、超党派議員立法により「戦没者遺骨収集推進法案」(推進法)が成立した。遺骨収容を「国の責務」と位置づけたものだ。当たり前で、遅すぎたとはいえ、戦後補償史における画期的な内容だった。しかし、私は気になることがあった。未収容の遺骨112万体のうち、60万体近くの収容をあきらめているようにも思えたからだ。

 例えば、所管の厚生労働省が作成した資料「遺骨収集事業の概要」(2020年1月)には、以下のようにある。

 「海外戦没者(硫黄島、沖縄を含む)は約240万人にのぼります。平成30(18)年度末時点での未収容の御遺骨約112万柱のうち、約30万柱が沈没した艦船の御遺骨で、約23万柱が中国等、相手国・地域の事情により収容困難な状況にあります。これらを除く約59万柱の御遺骨を中心に、戦友等からの情報や海外公文書館から得られた情報を元に、具体的な埋葬場所の所在地を推定し、現地調査や遺骨収集を推進してまいります」

収容は「例外」

 海没遺骨が、収容の対象から除かれていることを確認しておきたい。もっとも、この扱いは今に始まったことではない。

 1994年3月25日、第129回国会衆議院厚生委員会での議論だ。住博司議員(自民党)が遺骨収容の問題を取り上げた。

 <海没遺骨というのがあるのですけれども、その問題についても伺っておきたいと思うのです。我が国は海外に出ていって戦ったわけですから、沈没船舶数というのは非常に多い。(中略)基本的には海の人というのは航行中に死亡すれば水葬にするという考え方がありますので、海自体が戦没者にとっても永眠の地であると考えるかもしれませんけれども、しかし、最近ではマリンレジャーというのが非常にはやって普及してきまして、海に眠っているはずの遺骨が人目にさらされてしまう、遺骨の尊厳自体が損なわれるおそれがあるということもないとは言えない、こういう状況だと私は思うのですね。よくそれを水中写真に撮って載せるということも前はありましたし、そういったことを考えますと、これは海の中ですから大変技術的には難しいところもありましょう…

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